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Work in Progress | | |
プログラム活動の現場から | Volume 15, Number 2 1999年4月 国連大学広報部 |
Work in Progress《プログラム活動の現場から》
Volume 15, Number 2/1999年4月 |
国連大学広報部
〒150-8925 東京都渋谷区神宮前5−53−70
電話(03)3499-2811(代表)ファックス(03)3499-2828
E-mail mbox@hq.unu.edu
Internet website http://www.unu.edu/
ISSN 1011-3479
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| Work in Progress《プログラム活動の現場から》は、国連大学の出版物、報告書、論文、その他の文献を、世界各地のさまざまな読者の関心に合うように選択し、抜粋・編集したものです。このニューズレターに掲載されている記事は出典を明記のうえ、自由にご掲載ください。Work in Progressは日本語版のほか、英語版も発行されています。 |
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持続可能な発展に必要な水
「飲めるものは一滴もない」
「あたり一面の水、水、 飲めるものは一滴もない」(S. T. コールリッジ『老水夫行』)
老水夫行の詩はまことに的を射ている。地球の表面は水で覆われているが、淡水はそのうち約2%しかなく、そのほとんどが南極と北極の氷に閉じ込められている。国際連合の推計によれば、2025年までに、人類の3分の2が汚染されていない真水の不足に直面すると見られる。私達の貴重な水資源を上手に管理することは、今や地球規模の緊急の課題である。
国際連合大学は「人類の存続、発展および福祉にかかわる緊急かつ世界的な問題」に取り組む責務を負っている。地球上の水資源対策は、この定義に最もよく当てはまる問題といえよう。十分な水がなければ、人類の存続自体が脅かされるばかりでなく、発展の希望も、満足のいく日常的な生活すら消えてしまう可能性さえある。
水資源問題のどこに優先度を置くかを決めることは難しい。人類も、動植物も、あらゆる生物体が常に水を必要としているためである。古代文明の行く末を決定するうえで、水資源は大きな役割を果たしていた。
水系は地球の健康状態を映し出す鏡となりうる。淡水供給量の減少は、世界の食糧収穫量を減少させ、貴重な水生生物の生息地を破壊し、生物の多様性を脅かしている。世界の海洋もまた、漁獲量の減少、汚染物質の流入による酸素供給能力の低下など、人間の影響力の爪あとを残している。地球温暖化が進むと、数千万人の人々の命が危険にさらされる可能性がある。これらの人々の大半は貧しく、わずかな海面上昇によっても大きな打撃を受けるからである。
憲章に謳われた国連大学の責任領域である「人類の存続、発展および福祉にかかわる緊急かつ世界的な問題」の定義に正確に当てはまる問題は、この問題を置いて他にない。
国連大学はこの重大課題に総力を上げて取り組んでいるが、Work in Progress本号では、この活動の一部を紹介する。国連大学の研究者たちは、生命の発生場所である海洋から、歴史上重要な交易路となった大河川、さらには、アラル海など環境破壊の進んだ内陸湖に至るまで、地球上のさまざまな水域の現状を調査している。
比較的最近まで、水資源の不足が生態系、経済および社会にもたらす影響について、あまり認識されていなかった。広大な海や巨大な河川、そして豊富な水産資源が、致命的に脅かされることなどありえなかったのである。ところが、21世紀を間近に控えた現在、一人当たりの水供給量は1970年に比べて3分の1減少している。これは人口の増加が主たる原因であるが、水の稀少化は極めて現実的な形で、持続可能な発展の障害となりつつある。
国連大学は長い間、水資源問題と関わってきた。1996年には、カナダ政府によるコア資金提供により、国連大学プログラム「国際水・環境・保健に関するネットワーク(UNU/INWEH)」が創設され、独立した研究・研修プログラムとして発足した。ネットワークの役割は、特に開発途上国の水資源管理能力を高めることにある。本号最初の論文では、UNU/INWEHのラルフ・デイリー博士と、同機関スタッフのテリー・コリンズ氏が、UNU/INWEHの活動と、当面の課題について解説する。
これに続き、Work in Progress本号では、現代のグローバルな水問題のジレンマを、多くの側面から検討する。例えば、水利権をめぐる紛争は、半世紀前の国連創設の当初から、国連の交渉担当者にとって悩みの種であった。ブトロス・ブトロス=ガーリ前国連事務総長がいみじくも指摘したとおり、水は21世紀の石油、すなわち、大国、小国の地政学的戦略の根源となる可能性を秘めている。国連の水資源研究に密接に関わっている宇都宮大学農学部の中山幹康教授は、水利権紛争がこれまで国連に提起した課題を概観する。
第6回国連大学地球環境フォーラム「21世紀における都市圏の水問題」では、今後もっとも緊急な対応を要する二つの問題に密接な関連性があることが明らかになった。フォーラムには、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカおよび北米から専門家が参加した。フォーラムに参加した研究者のうちの3名は、都市での水獲得競争から生じつつある危険なシナリオに検討を加えている。
国際河川は常に、エコ・ポリティカルな紛争の根源となっており、世界でも問題の多い水域である。Work in Progress本号では、スロバキア・ハンガリー国境を流れるドナウ川、カスピ海に流れ込むボルガ川、および、数百万人の日常生活において密接に絡み合うガンジス河とブラマプトラ川という、さまざまな物語や歴史に彩られた大河について、三つの論文でその複雑な諸問題を取り扱う。さらにもう一つの論文では、中央アジアにおける河川管理の失敗によって忍び寄る悲劇的な結果の例として、アラル海を消滅させつつある灌漑用水の取水を取り上げる。
あらゆる河川の危機に共通して見られるのは、情報の不足とモニタリング改善の必要性である。国連大学では環境モニタリング活動に最新の科学技術を導入し、データの質の向上を図るとともに、情報をインターネット上で公開している。モニタリング活動の対象となるのは、さまざまな開発によって多大な影響を被っている東アジアの沿岸部である。国連大学地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)の責任者であったグレン・パオレット氏は、国連大学が政策立案者に対し、重要な情報をどのように提供しているかについて論じている。
地球規模の水資源問題の主要な論客の一人であるエリザベス・マン・ボルゲーゼ博士は、国際海洋年を契機に、持続可能な開発という理念を、海洋法に謳われている「自然は全人類の共通遺産である」という原則に基づくものとすべきだという主張を展開する。環境パートナーシッププラザの小林洋子氏は、1997年1月に島根県沖で沈没したロシア船籍タンカー、ナホトカ号の重油流出事故を身近な問題として検証し、頻発する油流出による海洋汚染とその対策を取り上げる。
また、国連大学で行われた講演会から、水と人類文明との密接な関わり合いについて考える。最初に、ジャック・クストー氏の後任としてモナコの海洋学研究所所長を務めるフランソワ・ドゥマンジュ博士が、現代科学によるノアの洪水の分析を含め、地中海と黒海の地理的な歴史を再検討する。次に、ユネスコの傘下で研究を進める水資源学者アリー・イサール博士は、ガリラヤ湖から採取した土壌のアイソトープ試験から浮上した興味深い中東史上の仮説を展開し、世界の水資源の将来を考えるうえでそれがどのような意味を持つかを考察する。
科学の進歩により、宇宙から私達の星を眺めることが可能になったことで、この地球を「水球」と呼び変えたほうが相応しいと考える人も出てきた。地球全体を覆う海洋は、間違いなく私達にとって最後のフロンティアである。私達の知識が広がるにつれ、地球上の水から得られる限りない恩恵と、これを大切に守る人類全体の共通の責任についての認識も高まっている。この責務を重視し、すべての人々が地球上の水資源を共有できるように努める国連大学の姿勢を理解していただくうえで、Work in Progress本号が一助となれれば幸いである。
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UNU/INWEHの活動─水管理の改善
ラルフ・デイリー、テリー・コリンズ
水資源の不足は、世界各地における最も緊急な課題のいくつかである食糧の増産、豊かな生態系の維持、健全で安定した社会の構築等々の妨げとなる重大要素である。国連大学ネットワークの新たなメンバーとして、カナダのオンタリオ州ハミルトンに国連大学プログラム「水・環境・保健に関する国際ネットワーク」(UNU/INWEH)が開設されたことで、水資源と環境問題に関する国連大学の活動が一層強化されることとなった。このプログラムは、世界の総人口の約5分の1の人々にとって安全な飲料水の入手が困難で、しかも2025年までに、この割合が3分の2にまで高まると予測されるという、厳しい現実に対応するものである。
UNU/INWEHとは、国連大学の研究・研修センター/プログラムの一つで、各国のトップレベルの専門知識、技術を結集して、国際的なネットワークを構築し、水・環境・保健に関する緊急課題に対応するための、教育・研修・研究・技術移転等のプログラム活動を実施している。責任者のラルフ・デイリー博士は、カナダ国立水資源研究所所長であった。同博士とINWEHスタッフのテリー・コリンズ氏による以下の論文は、この新しい水資源研究ネットワークが組織された経緯と、当初の活動成果の一部をまとめたものである。――編集部
国連総会は1997年、開発途上地域をはじめとする多くの地域が直面する深刻な淡水資源問題を最優先事項とするよう求めた。この問題による犠牲者の数は、子ども290万人を含め、年々増大している。こうした懸念への対処を支援するために創設されたのが、国連大学プログラム「水・環境・保健に関する国際ネットワーク」である。その任務は、開発途上国において、これらの国々と協力し、水資源管理の改善を図るとともに、総合的な流域管理に重点を置いた現地での水資源プロジェクトに取り組むことにある。
国連大学の他の研究・研修センター/プログラムと同様、INWEHも、途上国での人材育成および調査研究機関等の能力強化に重点を置いている。INWEHはネットワークとして活動するため、最少限の人件費で、多種多様な専門分野から必要に応じて的確な専門知識、技術等を備えた専門家チームを編成することができる。
UNU/INWEHの本部が設置されたハミルトンのマクマスター大学には、国連旗が掲げられている。トロントの西方、オンタリオ湖岸に位置する同市は、鉄鋼業で有名である。INWEHは現在、6名の正職員と2名の準職員(専門職)により、年間およそ70万米ドル(8,400万円)の予算で運営されている。
INWEHの活動は二つの方向性を持つ。INWEHは、一方で実地レベルの機関であり、世界各地から集めた専門家でチームを編成し、開発途上国での水資源関連プロジェクトに従事させることで、緊急課題への対応を図っている。他方では教育機関として、長期的なニーズ充足のため、現地での人材育成を図っている。
ネットワークには、世界中の大学、研究機関、国連およびその他の国際機関、政府・非政府組織および民間セクターからの水資源関連の専門家が参加している。UNU/INWEHは、水資源問題に対処し、開発途上国における総合的流域管理を推進するプロジェクトの研究、策定および実施を担当する専門家によるグローバルなネットワークという、需要の高いサービスを提供するための新しいアプローチを体現している。
同時に、研究・研修機関として教育・研修活動にも重点を置いており、人材育成は各プロジェクトおよびプログラムでの不可欠な要素となっている。INWEHは開発途上国からの研修生の教育に非常に力を入れている。限られた人数であっても、研修を修了した研修生らは母国に帰り、学んだ成果を広く普及することになる。このようにして各途上国は、環境モニタリング、規制の策定および実施、情報の収集および配布、水資源研究などの分野で自国の能力を高めることができる。最終的に、教育プログラムには、流域管理に関する総合研修、個々のニーズに合ったカスタム・プロジェクト研修および遠隔教育が含まれる予定である。
1998年に開設されたINWEHのホームページ(http://www.inweh.edu/unuinweh)は、教育プログラムの重要な構成要素であり、総合的な水質管理および水生生態系保護に関する遠隔学習を支援するように設計されている。本格的なウェブサイトの運営が始まれば、国際的なコミュニケーション(オンライン翻訳を含む)、データ管理および環境モデリングが容易になる。
1998年春にUNU/INWEHの季刊のニュースレター『ネットワークニュース』(英語)が発刊されたほか、INWEHの活動を紹介した小冊子が5カ国語(英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語およびアラビア語)で出版され、政府、学界、民間および国連の関連機関に広く配布された。
現地プロジェクトチームのメンバーは、さまざまな学問領域および国々(特にプロジェクト実施国)から採用されている。プロジェクト活動を通して得られた経験と知識は、広がりゆく南南協力の輪として、開発途上国各地に移転されることになる。
INWEHの目標には、水資源関連の技術移転の促進、途上国における環境産業への支援も含まれる。
プロジェクトおよびプログラムの調整は、カナダのネットワーク本部で行われるが、UNU/INWEHは、主要な開発途上国に小規模な国際協力事務所(ICO)を設置している。個々のプロジェクトや、研修および遠隔教育活動、そして、地域やコミュニティーにおける情報伝達の中核となるICOは、途上国の見解がINWEHのすべての活動に十分反映されながら、現地のニーズをよりよく理解し、効果的な実地活動を展開していくうえで不可欠な存在といえよう。
INWEHの特色としては以下のような点があげられる。
- ネットワークのアプローチにより、迅速、効果的かつ最小コストでプログラムおよびプロジェクトを判別、策定および実施できる。
- 国連大学の一員としてのINWEHは、グローバルな中立機関であり、国連の諸機関と密接な関係を保ちながら、国連システム内の関連諸機関の政策および技術プログラムに貢献している。こうした機関としては、ユネスコ、国連開発計画、世界保健機関、世界気象機関、国連環境計画、国連持続的開発委員会および世界銀行があげられる。
- ネットワークのアプローチにより、各プロジェクトを実施する専門家チームを編成するうえでの柔軟性と選択の幅が拡大する。
- プロジェクトチームの専門家は、多くの場合他の機関から出向して、各プロジェクトの特定のニーズに対応するため、最小限の諸経費による運営が可能である。
INWEHには当面三つの目標がある。第一に、政府、学界および民間の専門家の登録人数を世界的に拡大し、特定のプロジェクトおよび研修のニーズに見合ったチームの編成を可能にすること。第二に、プロジェクトの選択にあたっては、現地での環境と保健に関する能力育成を促進する活動であることに重点を置くこと。これについては、まずアフリカ、ラテンアメリカおよび中東でのプロジェクト開発に資金が充当されている。第三の目標としては、2001年までには資金的に自立できる体制に移行するように、活動を組み立てることである。(発足当初の4年間に限り、カナダ政府から約300万米ドル(約3億6千万円)のコア資金が提供されている。)
UNU/INWEHには国際諮問委員会が設けられており、メンバーは各国からの著名な環境問題専門家6名と、職務上の資格で参加する国連大学学長およびINWEHディレクターである。
国際協力事務所(ICO)
ヨルダンとメキシコのICOは近々、本格的な活動を開始する予定であるほか、ブラジルと東アフリカにもICOを設置する作業が進んでいる。水資源関連の問題に国家的・地域的関心を有する受入れ機関内に設置されるICOは、プロジェクト開発を推進し、地域の中心的存在として活動することになる。財務面での自立を含め、UNU/INWEHの目標達成においてICOの果たす役割は大きい。
ICOは3名までのコア・スタッフからなり、政府機関、大学、NGOの組織などに設置される小規模なユニットである。ICOはUNU/INWEHの正式な組織として、当該地域の研究機関、政府、大学等と緊密な協力関係を維持しながら活動を進める。当初の優先課題としては、総合的流域管理、給水および排水システムの分野における研修と技術支援、ならびに検査研究活動があげられる。
ワリド・サレア博士が地域コーディネーターを務める中東ICOは、ヨルダン政府の科学技術高等評議会が資金の一部を提供し、首都アンマンに設置された。中東は世界中でもっとも水資源問題が深刻な地域である。
メキシコ市のICOはゆくゆくは、カリブ地域全体を担当することになるが、当面は、問題が深刻なメキシコ国内での人材育成等に重点が置かれる。
また、南米とアフリカには、湖沼・貯水池管理、廃水バイオソリッド(訳注:汚水処理施設で生成されるリサイクル可能な、主として有機固形材料)の農業利用、産業公害防止および地域ごとの水質モニタリング等、極めて幅広いニーズと可能性がある。
プロジェクト開発
INWEHによる最初の人材育成プロジェクトは、メキシコ北部国境のフアレスで、バイオソリッド管理のためのマスタープランの開発および実施を予定している。その目標は、2カ所の新しい廃水処理プラントから排出される汚泥を環境的に持続可能な方法で処理することにある。UNU/INWEHは、科学、経済、ガイドラインの策定、バイオソリッドの農業利用等の専門家チームを編成して派遣し、プロジェクトの実施、運営面で中心的役割を果たすことになる。これらの専門家は、メキシコ国内および各国の政府機関、学界、民間セクター等から集められる。この3年計画のプロジェクトは、フアレスのための恒久的官民協力という形で、持続可能なバイオソリッド処理能力の育成強化をめざしている。最終的な目標としては、フアレスで得られた経験とノウハウを生かして南南協力を推進すべく、同様のプロジェクトをメキシコ国内の他の都市圏およびラテンアメリカ全体の都市部で実施することにある。フアレスでの最初のプロジェクトに対し、ペルーおよびメキシコの3市が早くも関心を示している。
メキシコでの第二のプロジェクトは、メキシコ水資源委員会と北米環境教育研修センターとの協力による試験的な「水セクターに関する国レベルの能力育成枠組」の開発および実施に関するものである。
また、東アフリカでは、新設されたばかりのビクトリア湖水産資源機構との間で協定が結ばれ、UNU/INWEHは、ビクトリア湖岸に隣接する3カ国、ケニア、ウガンダ、タンザニアが共同で実施中の環境管理プロジェクトに対し、研修、調査、研究および管理運営に関する支援を行うことになった。
この「ビクトリア湖環境管理プロジェクト」は、地球環境基金から5年間で7,700万ドルの資金提供を受けて実施されており、流域管理、湖沼学、水質モニタリングおよび水産科学に関する研修と技術力の向上に重点が置かれている。この協定は1998年3月、関係国政府の環境担当高官からなる代表団がUNU/INWEHを来訪した際に結ばれたものである。
一方西アフリカでは、INWEHの発案による、サヘルの都市周辺および村落に太陽電池を動力とする地下水汲み上げ設備を設置するプロジェクトが進んでいる。ブルキナファソでも同様のパイロット設備が計画されており、それに付随して水質モニタリングおよびポンプ設備の維持・管理のための地域レベルでの研修も予定されている。
中東では、ヨルダン、パレスチナおよびアラブ湾岸諸国におけるプロジェクト計画が進展している。カタールでは1998年夏、首都ドーハにおける24万ドルの地下水回復プロジェクトが発足した。ヨルダンでは、乾燥・半乾燥地域のベドウィン系住民の農業用として、最も効果的な雨水利用のための、コンピューターを使った制御モデルが開発されている。このプロジェクトは、ヨルダン科学技術高等評議会の「バディア研究研修プログラム」との協力により進められている。
その他、中東での活動としては、アブダビにおける環境データベース・プロジェクト、ガザおよびヨルダン川西岸地区のバイオソリッド処理プロジェクト、サウジアラビアにおける水処理プラントの環境への影響調査、地域全体の環境情報管理システムに関する研修があげられる。また、INWEHはサウジアラビアのアブドル・アジズ国王科学技術市(KACST)と、水資源関連の研究、研修、人材育成に関し、協力協定を調印する予定である。
研修
ヒューレット・パッカード社の協力により、淡水化学計器に関する試験的な研修コースが開始された。多くの大学とともに、民間企業数社がUNU/UNWEHの傘下で、既存の研修コースに適切な修正を施したカリキュラムの提供を申し出ているが、ヒューレット・パッカードとバリアン・インターナショナルはそのうちの2社である。
国連環境計画と世界保健機関が実施している「GEMS/
WATER研修プログラム」は、カナダ国立水資源研究所からINWEHのハミルトン本部へ移転することが決まった。これに伴い、INWEHでは、水資源管理に関する総合的研修カリキュラムの開発も進められており、このプロジェクトについては、UNU/INWEHとカナダの大学(ウォータールー、ウェスタン・オンタリオ、ウィンザー、マクマスターなど)、ならびにグランドリバーおよびハミルトン地域保全局との間で、協力協定を結ぶ作業が進行中である。
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水待ちの列─ガンジスとブラマプトラに関する協力
アシット・K・ビスワス、中山 幹康、ユハ・I・ウィット
ガンジス川は、ネパールのヒマラヤ山脈に端を発し、インドとバングラデシュを流れてベンガル湾に注ぐ。よって、バングラデシュはここから最後に水を受けとる国である。状況をさらに複雑にしているのは、小国ブータンの高峰を水源として、ほとんど飛び地化しているインドのアッサム州を通り、バングラデシュでガンジス川に流れ込む、ブラマプトラ川の存在である。この入り組んだ水利政治学的シナリオは、バングラデシュを生み出した1971年の戦争の遺物である。
1970年代初め、インドはガンジス川の水をカルカッタへ送るファラカ・ダムを完成させた。バングラデシュとの乾季における河川水の配分に関する協定は1988年に期限切れとなった。それ以来、両国の関係は行き詰まり、バングラデシュは、1月から4月までの渇水期における灌漑用水を保証されなくなった。1993年、乾季のバングラデシュ国内での河川水量は、過去最低を記録した。
国連大学は1998年3月、オランダ政府との共催という形で、国際水資源協会(IWRA)の協力を得て、「ガンジス・フォーラム」を開催した。これには関係国から科学者と政策立案者が参加した。このフォーラムに関する報告書は現在制作中であり、国連大学出版局から出版予定である。「ガンジス・フォーラム」に関する以下の報告は、IWRA元会長のアシット・K・ビスワス教授が、宇都宮大学農学部の中山幹康教授および国連大学学術審議官のユハ・I・ウィット博士の協力を得て作成したものである。――編集部
ガンジスおよびブラマプトラ川水系流域における人口の増大と経済開発活動の加速により、この地域の持続可能な水管理を実現することは過去にも増して必須となっている。歴史的に見ても、南アジアでは水が常に重要な資源と考えられてきたばかりでなく、水資源の確保は地域の経済発展のためには必要不可欠ともみなされている。
ガンジス・ブラマプトラ流域における水資源の共有は、バングラデシュ、ブータン、インドおよびネパールの流域4カ国の間で、常に紛争の主要な原因となっていた。1970年代半ばにインド国内のガンジス川にファラカ・ダムが建設されると、下流域での水の共有は、バングラデシュ・インド間で重大な政治問題へと発展した。
ガンジス川は今や、世界の大河川の中でも、乾期には必ずしも海に河川の水が到達しない川の一つとなっている。上流域での取水とその他の水需要により、乾期にはガンジス川が本来の河口であるベンガル湾に流入するのに十分な水が残らないためである。海に流れ出る河川水がなくなったことで、人口稠密なガンジス川デルタの西部では海水が急速に遡上し、農業生産が脅かされている。この地域はまた、過去の政治的緊張を反映して引かれた国境線による悪影響も受けている。例えば、ブラマプトラ川流域の大半を占めるインド東北辺境のアッサム州は、1947年にインドとパキスタンが英国から独立した際、他のインドの領土からほとんど切り離されてしまった。
30年以上にわたり、ガンジス・ブラマプトラ川水系でのさまざまな出来事は、同地域における水利政治学的な混乱を象徴していた。しかし、最近になってガンジス川(バングラデシュ・インド間、1996年12月)およびマハカリ川(インド・ネパール間、1997年)に関する二つの条約が成立したことは、水管理の点で、地域の政治的な状況を一変させた。
「ガンジス・ブラマプトラ・フォーラム」の主な目的は、これまでに国連大学が主催した国際流域に関する3回の会合と同様に、水、土地および生物資源の持続可能な開発に関する流域国間の協力について、上級政策立案者と専門家がその可能性を冷静かつ客観的に模索し、お互いの水資源に対する要求を理解かつ尊重できるよう、関係国に今後の道筋を提示することであった。
この目立つことを避けた、しかしハイレベルな会合への参加は、招待された約30名の上級政策立案者および専門家のみに限られた。参加者はすべて個人の資格で招待され、この複雑な水利政治学的問題に関し、自由で忌憚のない意見および事実認識についての見解の交換を行った。参加者の立場上の問題もあり、この会合では、いかなる公式な結論も、いかなる事項に関する勧告も採択されなかった。
このフォーラムのために、八つの論文が作成された。これらの論文の分析対象となったのは、流域4カ国間の紛争および協力の歴史的背景、流域における将来の水資源開発の可能性、渇水期における流量を増加させるための方法、社会的、環境的、政治的諸条件の再検討、ならびに、関係国間の将来の協力に関する法的・制度的枠組の可能性についての検討である。
幅広い検討事項の中で、地域全体の水資源需要に特に議論が集中した。年間総流量から見れば、ガンジス川には十分な水資源がある。問題は1月から4月までの渇水期における水不足であり、これがインド、バングラデシュ両国に影響を与えている。年間総流量の5%さえ渇水期の利用のために確保できれば、渇水期における下流域の水不足問題は解消される。しかし、渇水期に利用するための水資源を、流域のどこかに貯留する方法を見つけなければならない。ガンジス川下流域の水資源管理においては、渇水期の流量を増大する可能性の検討は最も優先されるべき課題である。
渇水期の水不足を解決することは理論的には簡単だが、すべての関係国が受け入れられる具体的な方法を選択しようとすると、多くの問題が生じてくる。バングラデシュは従来から、上流域のネパールに貯水池が建設されることを望んできた。この考えを支持する参加者も見られたが、バングラデシュ国内で渇水期の流量を増大させるとすれば、ネパールで以前から計画されているコシ・ハイ・ダムのように、極めて大規模な貯水池の建設が必要になるという指摘もなされた。
他方、インドは(バングラデシュ国内を経由する)300キロメートルの運河を建設し、比較的水量の豊富なブラマプトラ川から水不足のガンジス川へ送水を行う計画を支持している。しかし、この計画は諸々の理由により、バングラデシュ国内では不評である。まず、バングラデシュでは、水路を建設する用地を確保するために多数の人々の移住が不可欠になり、また、深刻な環境・社会問題が発生する可能性も高い。バングラデシュを通る運河を作れば、インド国内の地域間移動にも利用されることになり、両国にとって重大な政治的問題となりかねない。
バングラデシュ国内のガンジス川に貯水池を建設するという案については、参加者の全般的な賛同が得られた。このような貯水池建設は純粋にバングラデシュ国内でのプロジェクトとなるため、政治的な問題は生じない。世界銀行、アジア開発銀行などの国際金融機関は、流域国間で河川水を共有するための合意ができていないことを理由に、従来はガンジス川に関するいかなるプロジェクトについても、融資には難色を示してきた。しかし、現在ではバングラデシュ・インド間にガンジス川条約が成立していることに鑑み、これらの金融機関はバングラデシュの国内に貯水池を建設する計画を真剣に検討すべきであるという意見が、フォーラム参加者の大半によって表明された。
情報の流れの問題
フォーラムで明らかにされた重大な問題は、流域国間での情報共有の欠如である。ある国の水資源専門家は、他の流域国に関する情報にアクセスするための手段を驚くほど欠いている。ある国で自由に入手できる情報でも、他国では入手できないというケースが少なくない。
参加者は、気象、水文、経済および環境データを広く共有するためには、機能的な仕組みが必要であるという認識で一致した。データと情報の共有には微妙な問題が伴うため、これは簡単に実現できる課題ではないが、地域の持続可能な長期的開発を実現するためには欠かせない要素である。
地域の持続可能な開発を促進する最善の方法、および、流域国間の現在の協力体制をさらに拡充する方法については、さまざまな提案が出された。統合的なアプローチが望ましいという点では全般的な合意が得られたものの、多数のセクターを統合して管理することを目指して、すべての当事者を関与させようとすれば、全体的な構図を不必要に複雑にして、解決を遅らせることになりかねないという懸念も表明された。たとえ流域全体のマスタープランがなくても、小規模な開発活動は推進されるべきである。民間セクターと援助機関の間でのコスト分担など、新しいタイプの投資の可能性も検討すべきである。その意味で、トルコやブラジルなどで現在用いられているような投資手法は検討に値する。また、メコン川委員会のような地域協力のための地域的な機関の設置についても、十分に検討する必要があろう。
必要なのは将来のためのマクロ的ビジョン
フォーラムのフォローアップとして、国際水資源協会が国連大学と協力して、バングラデシュ、インドおよびネパールからの専門家によって構成される小規模な作業部会を設置することが提案された。作業部会は、ガンジス・ブラマプトラ流域全体の将来像についてのマクロ的ビジョンを作成する。このビジョンについては、1999年後半にダッカで、当該地域の政策担当者および関連領域の専門家によって討議される予定である。さらにその後、修正を加えたビジョンの最終版は、2000年3月にオランダ外務省がハーグで開催を予定している「世界水フォーラム」の場で披露される予定である。
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ドナウ川の水利政治学
リボル・ヤンスキー
1993年1月のチェコスロバキア解体を受け、新生スロバキアは、隣国ハンガリーとの長年にわたる環境紛争を引き継ぐことになった。この紛争は、ヨーロッパ最大の土木プロジェクトと評されたドナウ川のダムに関するものである。
ドナウは古い歴史を持つ川である。ダムの建設地は、スロバキアの首都ブラチスラバとハンガリーの首都ブダペストの中間、古くはイリュリア族、ケルト族、スラブ族、マジャール族、そしてゲルマン族の野営地でもあった場所に位置する。ドナウ川の国境を挟んで両側には、重要な産業拠点が並んでいる。例えば、ハンガリー側のジェールとスロバキア側のコマールノは、日々相互依存を強める中欧経済の重要な歯車である。
およそ20年前、ドナウ川の資源の管理改善を目指し、治水システムの建設が始まった。だが、工事は後になって中断され、プロジェクトは頓挫し、ハンガリーとスロバキアの間では、何が生態学的、経済的に実施可能であるかについて、大論争が発生した。この紛争に関する以下の論文は、スロバキア共和国ブラチスラバのコメニウス大学自然科学学部のリボル・ヤンスキー教授によるもので、同教授は、河川問題を研究する国連大学学際チームのメンバーである。――編集部
全長2,857キロメートルのドナウ川は、ドイツ、オーストリア、スロバキア共和国、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、そしてウクライナと、ソ連崩壊後の欧州の新旧国家を縫って流れている。黒海に注ぐドナウ川は、スイス、ポーランド、チェコ共和国、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニアおよびモルドバにも集水域を持っている。その地形もまた、険しい山々、青々とした広大な農地から、河口付近の陸地と水面が交錯するデルタに至るまで、沿岸国と同様に多種多様である。
ドナウ川の流域面積は、山地、平地および森林丘陵地を含め817,000平方キロメートルに及び、そこには約8,000万人のヨーロッパ人が住んでいる。ドナウ川はこれまで数世紀にわたり、漁業、水運および飲料水供給の目的に利用され、農業および工業の需要を満たしてきたばかりでなく、処理済廃水の投棄先としても利用されてきた。1950年から1980年にかけて、ドナウ川にはダムその他の給水施設が69ヵ所建設されている。1992年のライン・マイン・ドナウ運河開通以来、ドナウ川は欧州の幹線水路となり、北海から黒海に至るまで、数百ヵ所の内港を結び付ける役割を果たしている。
ドナウ川は輸送用国際回廊6Cとして登録されている。ドナウ川流域国の代表からなる「ドナウ委員会」は、協定の運営と、大規模な航行のための措置を監督している。河川周辺の自然地形は、各国の社会・政治状況と同様、変化に富んでいる。各国にはそれぞれ異なった優先課題がある。このため、川の問題については、幅広い異なったアプローチが採られている。
1977年、チェコスロバキアとハンガリーは、ブラチスラバから下流約50キロメートルのスロバキア・ハンガリー国境に「ガプチコボ・ナジュマロシュ・ダム」を建設する条約を締結した。
この巨大な土木プロジェクトは、ドナウ川のブラチスラバ・ブダペスト区間の水資源をよりよく活用することを目的とし、水源、エネルギー、輸送、農業および両国のその他経済部門の開発に資するものと見られていた。よって、共同投資は主として水力発電、当該区間の航行条件改善、および、河岸地域の洪水防止に向けられた。
1989年、ハンガリーは自国の環境に重大なリスクが及ぶとして、プロジェクトを停止し、後にその完成を放棄した。スロバキア(1993年にチェコスロバキアの解体により建国)はこうした主張を退け、ハンガリーに条約の義務を履行するよう求めたうえで、代替的な修正版プロジェクトを計画し、後にこれを実施した。ダムはスロバキア側のみに建設されたが、これによってハンガリーのドナウ川対岸へのアクセスに影響が出た。
この問題に関する国連大学の研究は、持続可能な資源管理に重点を置く活動の一環として行われている。この活動では特に、国境にまたがる水資源の問題が純粋に技術的な領域を越え、政治問題化したケースに関心が向けられているが、ドナウ川のガプチコボ・ナジュマロシュ・ダム計画をめぐるスロバキア共和国とハンガリーの紛争は、その一例と見て差し支えない。
国連大学ドナウ・プロジェクトに関する議論は1993年、ガプチコボ・ナジュマロシュ・ダム紛争がスロバキア、ハンガリー両国政府によってハーグの国際司法裁判所に付託された直後に開始された。その後設置された多国籍学際コア・チームには筆者のほかに、ハンガリーのブダペストにある中央ヨーロッパ大学の政治・社会学者ミクロシュ・スコスジ博士、および水文工学、水利政治地理学の権威である高知工科大学の村上雅博教授が参加している。
1993年以来、国連大学ドナウ・プロジェクトの3回の会合はすべて、ブラチスラバ市立大学(CUB)の主催により、ブラチスラバで開催されている。最近の会合は1997年7月、CUBと国際バイオポリティックス機関の共催による「ドナウ川の絆──過去、現在、未来──時と空間の次元」と題する国際会議の一環として開かれた。会議には、各国の研究機関、学識経験者、コンサルタントおよびNGOを含め、20カ国から80名以上が参加した。
コア・チームのスコスジ博士は、ガブチコボ・ナジュマロシュ・ダム計画によるダム建設を中心に、ドナウ川をめぐるスロバキア共和国とハンガリーの紛争の政治的・歴史的背景を概説した。博士は、社会科学研究において考慮すべき多くの側面を指摘したが、その具体例としては(a)両国における民主化のペースおよびシナリオの相違、(b)両国における学界の独立性の欠如、(c)ナショナリズム──歴史的、文化的および民族的要因、(d)脆弱な市民社会と両国間のコミュニケーションの不足、(e)ダム問題の政治的正当化への利用、(f)地域的紛争解決機関の欠如、ならびに、(g)EUと国際司法裁判所の役割があげられる。
影響を与える対象が下流の流量であるか上流の航行であるかにかかわらず、河川資源に対する権利は、困難で複雑な問題を提起しかねない。コア・チームによる別のプレゼンテーションでは、漁業権あるいは河床権の分割、料金徴収権および橋梁設置権、水路が蛇行する場合(ドナウ川はブラチスラバ通過直後に三つに分岐)に必要となる調整といった点にも触れながら、厄介ではあるが見落とされがちな局地的な問題を取り扱った。より幅広い地域的・国家的レベルでは、ドナウ川の航行を必要とする非接続地(川に面していない土地)が持つ権利、回遊魚の通過、および、川(例えば河底堆積物)の開発による他国への損害の有無といった問題が存在する。
ドナウ会議の議題は、生物多様性から汚染防止、森林生態系と土壌保全、さらには将来の世代の権利保護に至るまで、あらゆる領域を網羅した。地域的な環境管理に関する意見交換の場として開かれたこの会議では、歴史から導き出される教訓、特にドナウ川流域に生きる人々と社会から学び得ることの重要性が強調された。このような教訓は、調和のとれた未来を作るための礎石とすべきである。バイオセントリック原則の実践についても議論が行われ、参加者はそれぞれの学問領域が行い得る貢献を検討し、新しい考え方と行動のためのモデルを提案した。これにより、水利問題研究の学際的な特色が明確に浮かび上がった。
将来的に拡大される可能性の高いEUがドナウ地域に対して持つ意味合いに関しては、活発な議論が行われた。将来のリーダーシップと外交、経済構造、貿易、輸送および観光の動向、ならびに、欧州国家連合の拡大に伴って発生し得るその他多くの問題にとって、このことはどのような意味を持つのであろうか。会議は、流域国の公式な国家政策において、立法、行政および金融面から一般的な環境および技術基準を改善する意志があるを立証した。
実際的なニーズ
- 意見交換からは、ドナウ地域に関する現在の実際的なニーズがいくつか浮かび上がった。
河岸国間でバイオポリティックスと持続可能な開発という考え方を支持すること
- さまざまな国際機関の枠組および傘下で、政府あるいは学界レベルで行われているプロジェクト、または、NGOサークルの内部で行われているプロジェクト活動に関し、情報の流通を改善すること
- ドナウ地域全体における市民イニシアチブ同士でパートナーシップを形成し、ドナウ環境フォーラムへのNGOの参加を支援すること
- 科学的な成果を政治的意思決定に反映させること
- ガプチコボ・ナジュマロシュ・ダムのもたらす影響、あるいはこれに対する影響を評価する際に、ドナウ川流域全体を考慮に入れること
国連大学ドナウ・プロジェクトは、水資源に関する論点の特定、複雑な水環境問題を解決に導き得る代替的なシナリオの選別、および、相互に満足な解決策をもたらし得るプロセスの勧告を続ける予定である。その他、研究の対象とすべき国際河川紛争としては、コロラド川、インダス川、ナイル川、ヨルダン川およびユーフラテス川に関するものがあげられる。
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都市圏の水問題─21世紀の課題
ユハ・I・ウィット、アシット・K・ビスワス、セシリア・トルタハーダ=キロス
北京市民の水需要を満たすために、近郊農民は、灌漑用水を失いつつある。隣接する大都市部の需要を満たすため、第三世界の各地で地下水位の低下が見られる。都市部へ流入する人口の増大は、農業用水の獲得競争を一層激化させている。
世界の都市人口の増大は、21世紀のもっとも深刻な環境課題のいくつかを提起しているが、中でも重大な課題は、2025年までに都市に住むことになる50億もの人々(現在の2倍)に対し、安全できれいな水を供給することである。国連大学は1997年6月、東京で第6回国連大学地球環境フォーラム「21世紀における都市圏の水問題」を開催したが、これにはアジア、ヨーロッパ、北米、ラテンアメリカおよび世界銀行から、世界的に著名な8名の専門家が参加した。本稿では、フォーラムで提起された主要な問題を取りまとめる。ユハ・I・ウィット博士は、国連大学本部の学術審議官である。フォーラムの招集役を務めたアシット・K・ビスワス教授は、国際水資源学会(IWRA)の国際協力委員会の委員長である。セシリア・トルタハーダ氏は、メキシコにある第三世界水管理センターの副所長である。国連大学出版局はウイット博士とビスワス博士の編集により、このフォーラムに関する刊行物を出版する予定である。――編集部
地球上の都市人口は2025年までに、現在の2倍の50億人以上に膨れ上がるものと見られる。1950年から1990年の間に、百万都市は78カ所から290カ所へと、ほぼ4倍に増えた。2025年までに、その数は600カ所へとさらに倍増する可能性が高い。
現下、アジアとアフリカでは、年率4%程度の爆発的な都市人口の増加が起っている。ラゴス、上海、ジャカルタ、メキシコ市など、開発途上地域の大都市におけるきれいな水と衛生設備の確保は、21世紀における開発戦略上もっとも困難な課題の一つとなろう。
開発途上国ではすでに、給水と衛生設備不足の兆候が現れている。その中には以下のようなものがある。
- 開発途上地域における疾病の80%および死者の30%は、不衛生な水に起因している。
- 安全でない飲料水あるいは劣悪な衛生設備により、毎年12億人が病気にかかっている。
- 水によって感染する病気により、毎年400万人以上の子どもが死亡している。
- 下痢により、15%の子どもが5歳になる前に死亡しているが、適切な上水道・衛生設備があれば、これらの死は防げる可能性がある。
都市用水については、質・量の両面で深刻な懸念が生じている。世界の都市では、家庭、産業の双方から、大量の下水が発生しており、人体と生態系の両方に健康上の問題が生じている。水関連の病気は、特に開発途上国の都市の貧困地区で、猛威を振るっている。同様に、拡大し続ける市街地に十分な給水を続けること自体が、大きな課題でもある。
多くの側面について解決策を見出す必要があることは明らかだが、そこには多くの人々の利害が絡んでくる。今までのところ、給水管理がもっとも重視されているが、世界中で新たな水源が稀少化し、その開発コストが高くなる中で、供給の増大から需要の抑制へと重点をシフトさせる必要がある。水道料金設定の適正化は、そのための手段の一つである。適切な水道料金の設定を行えば、あらゆるセクターで水の浪費を減らすことができよう。
公共セクターは往々にして、持続的な給水と衛生設備の提供を怠ってきた。世銀の推計によれば、開発途上国および経済体制が移行中の国々の公共セクターにおける必要投資額は、年間500億ドル程度に及んでいる。このような多額の投資を行うためには、公共セクターと民間セクターとの密接な協力が不可欠である。民間セクターは今後、ますます重要な役割を担うことになろう。
給水システムの効率は驚くほど低いことが多い。世界中の配水システムでは、全体の給水量の15%から70%近くが漏水によって失われている。例えば、インドの巨大都市ムンバイ、マドラス、カルカッタおよびデリーでは、劣悪な運営とメンテナンスが大問題となっている。このような大量の損失を軽減するためには、節水を一層重視する必要がある。
効率的な都市給水に適切な運営がどれだけ貢献できるかを知るうえで、日本の経験は貴重である。東京は今世紀中に急速な成長を遂げ、現在では世界最大規模の大都市圏に発展している。それでも、東京の都市給水システムにおける損失(水が最終ユーザーに届くまでのシステム全体の漏水量)は、1945年の80%からわずか9%へと激減した。
水源開発紛争の激化と、開発途上国における水需要の増大から見て、排水の再利用は、都市用水源の持続可能な開発のためには重要なオプションとして考えねばなるまい。環境保護のための諸条件が一層厳しくなる中で、排水の再利用はその重要性を増している。再利用される排水は、水洗トイレ、洗車、ガーデニングなど、さほど高い水質が必要とされない用途に使うことができる。
日本におけるもう一つの事例は、都市部の水需要と近郊地域の生態系のための需要をバランスさせる必要性を物語っている。日本で最大の湖である琵琶湖は、大阪、京都、名古屋および神戸の各都市からなる日本第二の都市圏、関西地方への給水に重要な役割を果たしている。琵琶湖・淀川水系の現状は、各々の都市給水システムが、流域内のさまざまな市町村の抱える課題に基づき、異なる局地的な理由で発展してきたことを示している。そこには、統合的流域管理に対する巨視的なアプローチが欠けていた。その結果、断片的な政策の立案と場当たり的な政策の実施が、経済的な利水を困難としたのである。
環境への配慮とその回復への対策は、水資源管理、水質改善などを考えるうえで、ますます重要な意味合いを持ちつつある。日本では、水源開発が従来から、全般的な経済開発の文脈で捉えられ、河川開発、ダム建設、送水路などに重点が置かれてきた。しかし、今後は、水源開発計画に環境への十分な配慮とその保全対策を組み込むことが肝要である。
「琵琶湖総合開発プロジェクト」は、完成までに25年を要した。このプロジェクトは、環境問題が前面に出されなかった高度成長期に実施された。今日、あまり豊かでない国で同様のプロジェクトを行うとすれば、その実現にはもっと長い時間が必要となろう。
スプロール化が進んだ人口2,500万人のメキシコ市のケースは、この点で示唆に富むものである。人口増加は依然としてハイペースで続いており、水需要も急激に増大している。需要の増大に対応するため、メキシコは遠方の集水地から長距離の送水を行うプロジェクトに乗り出した。その結果、給水コストは急激に上昇している。同時に、大都市への給水により、周辺地域の環境に悪影響が表れている。長期的にこの状態を持続することはできないだろう。
災害時の水管理には、特に注意する必要がある。例えば、1995年に神戸市を直撃した阪神大震災では、給水システムのより効果的な計画と運営が行われていれば、火災による人的・物的被害は大幅に軽減できたはずである。世界の市街地の多くは、危険の多い場所に集中している。大都市のほとんどが集中する海岸部は一般的に、台風やハリケーンなど、給水・下水システムを混乱させる気象上の危険にさらされている。洪水が発生すれば、都市部に壊滅的な影響が及びかねない。
都市圏の給水・衛生設備に関する緊急問題を解決するためには、技術的な課題と、管理・政策上の課題とを組み合せて考えなければならない。先進国・途上国間の協力を拡大する必要もある。先進国は途上国に対する水関連の公的援助プログラムを実施するうえで、援助の焦点と優先事項を再考する必要がある。今、必要とされるのは、人材育成や調査研究機関等の強化など「ソフト」面により大きな重点を置いた、幅広い水資源協力のための長期的なビジョンである。効率的な水管理を推進するために、国内の政治環境を変えることも重要になってくるであろう。こうしたプロセスを支援するための一般市民の理解も必要である。
世界は今、これまでどの世代も経験したことのない規模の緊急な水危機に直面している。特に開発途上国において、人類史上の大惨事が起こらないよう、これらの問題を解決しなければならない。的を射た投資、技術および適切な運営により、問題の解決は可能である。そのために必要とされるのは、政治的な意志と、南北間および東西間の積極的な協力である。各国が緊急に対策を講ずれば、将来を楽観することも不可能ではない。
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海洋統治の新たなあり方
エリザベス・マン・ボルゲーゼ
「ガバン(govern、統治する)」という英語の単語は、船の舵をとる、水先案内をする、という意味のラテン語とその前のギリシャ語からきている。広大で捉えどころのない動きをする海を、海図などまだない頃、なんとか支配したいという人間の願いが、そこに反映されていたはずだ。だが、現代においても「ガバナンス・オブ・ザ・オーシャン」すなわち「海洋の統治」は、環境という大きな問題領域のなかで2番目に優先順位の高い、相変わらずやっかいな問題なのである。生命そのものが誕生した海 ――その貴重な生物体の宝庫はまた、気象変化の動因でもあり、われわれが食糧とする多くのものの生態系食物連鎖の起点でもある。その海の環境が今や深刻な危機に直面している。排水をたれ流したり、沿岸一帯の汚染を引き起こしている人間活動が原因であり、それがまた複雑に絡み合って命の根元である酸素の海からの供給量がゆっくりと、しかし確実に低下しつつある現象にも影響している。
エリザベス・マン・ボルゲーゼは、海洋が地球上での人類存続の鍵を握ることを精力的かつ理路整然と訴え続けてきた。本稿はWork in Progressのために書き下ろされたもので、国際海洋年(1998年)のビジョンにかかわるいくつかの問題点、とりわけ海洋の管理に対するより統合的アプローチの必要性について論じている。ボルゲーゼ博士は、イタリアのマルタ島にある国際海洋研究所(IOI)の創設者で、ローマクラブのメンバーでもある。同博士の新著「ザ・オーシャニック・サークル(海の波紋)」(英文)が最近、国連大学出版局から出版された。
――編集部
国際海洋年であるこの1年、海洋博覧会、海洋技術展覧会、海洋をテーマにした美術展や音楽祭など、海への関心の高さを示すさまざまな催しが開かれた。数多く開かれた会議では膨大な数の論文が発表され、海洋年の成果を今後に生かす目的で設置された「世界海洋委員会」はいち早く報告書をまとめた。
残るもの、残すべきもの
新たな認識を創り出さなければならない。とくに我々西欧社会の人間は、自分たちが天地万物の支配者ではないことを知るべきである。自分たちの国の貧しい人々に対しても、そして動植物や地球の大地に対しても――。非西欧社会では数千年の歴史を通じて人々がそのことを我々よりも深く理解してきた。そのことを、彼らには常に記憶にとどめておいてほしい。さらに、彼らが過去わずか数世紀ないしは数十年に西欧から学んだことのなかには、忘れてほしいものがいくつもある。
海は御しがたい。「海洋の循環」という壮大な現象がその難しさの根元で、陸地に対する場合とは思考、行動ともに変える必要がある。陸地が開発し尽くされ、文明が海岸線にまで押し寄せた結果、産業革命が海洋にまではみ出し始めた今、私たちは異なる思考・行動様式へ自らを適合させることを学ばなければならない。
国際海洋年から我々が今後に残すべきものは、人間同士の、また人間と自然とのこれまでとは異なる関係を基盤とする新たな統治のビジョンである。自然を慈しめば、それが互いを慈しむことになり、自然を破壊すれば、それは人間にとっての自殺行為になるからである。
この新たなビジョンの達成に向けて今我々がどの段階にあるのか、そして次の実践的な施策は何かを、人類すべてが理解しなければならない。
1982年の海洋法に関する国際連合条約の採択について、国連事務総長は、国連憲章採択以来の快挙であると高く評価した。実際、これは21世紀へ向けた、新たな国際経済秩序の実現につながる画期的条約である。
海洋とは、いずれの国、企業、個人も専有することは許されず、人類全体の利益と平和目的のためにのみ管理保全し、将来の世代にそのままの姿で引き渡すべき「人類の共同遺産」であるとする条約の基本理念は、計画経済、市場経済の枠を超える新しい経済理論を予示するものである。同条約は、領域外の国際水域の海底とその資源にのみ適用されるものであり、その上の公海水域や領海水域には効力を持たないものとされていたが、このような区分けは早くも無意味になりつつある。いかなる水域の問題であっても、それは他の水域と密接に関係するものであり、海洋全体を総体的に把えて考えるべきであるとする条約の第二の基本理念も、実際のところ、水域限定とは矛盾するものである。歴史と理屈からすれば容易にわかることであるにもかかわらず、学者たちはこれまで、この二つの理念の関連性を見逃していた。
二ヵ国以上の排他的経済水域にまたがって生息する魚種や高度回遊性魚種に関する協定は、条約の文言と理念をさらに発展させたものであり、あらゆる実用的目的のために、人類の共同遺産の概念を海洋全体の生物資源の管理にまで広げて適用したものである。海洋生物資源は、領海・公海両水域の境界両側のいずれの側においても、将来世代を含めた、人類全体のために、持続可能な形での管理が行われなければならない。境界の両側それぞれを律する規則・規制は、地域的漁業関係機関の協力のもとに、相互に調和のとれたものとしなければならない。公海における「漁業の自由」は、今や(水産資源も)人類の共同遺産であるという理念に取って替わられた。
リオデジャネイロで1992年に開かれた国連環境開発会議(UNCED)では、この理念をさらに拡大して、陸地もその対象に含めた。「持続可能な開発」は、地球そのものが人類の共同遺産という理念の上に立たなければ実現しない。人類の共同遺産という新たな理念は、経済、環境、軍縮、社会的正義などともかかわってくるだけでなく、問題と解決策の相互依存の原則もそこに絡んでおり、そのことがUNCED以降のあらゆる条約や協定、事業計画などに、反映されている。
さらに、UNCED以降の世界では、これらの新しい理念や法律上の概念に基づき、沿岸の地域社会から国民国家、地域、そして国連まで包括する新たな統治モデルの開発が始まっている。こうした新しい形の統治の概念は、国家政府の領域のみならず国際的領域をも視野に入れた「包括的」なものでなければならない。国内のみならず国際的領域でも活動する数々の非政府組織(NGO)が生まれ、新たな役割を担うようになったことは、この20年間に生じた新しい現象のなかでもとくに注目すべき現象の一つである。これらのNGOには、統治のさまざまな次元における意思決定プロセスとの整合性ないし一貫性が求められる。さもなければ、意思決定は機能しない。そしてそれらNGOの意思決定は、トップ・ダウン方式ではなく、ボトム・アップ方式の「参加型」でなくてはならず、また「学際的」でなければならない。
地方と国の間での計画や意思決定の橋渡しと、沿岸と海洋の水域、資源の利用者すべてが加わる「共同管理」方式は、地域社会の発展に大きな意義を持つもので、現に世界各地にますます普及してきている。
同じく、「閣僚級委員会」は、各国政府が、それぞれの管轄下にある沿岸と海洋水域で発生する複雑に関連し合った多くの問題を円滑に処理するうえで、最も有効と思われる方法であろう。
国連環境計画(UNEP)主導の地域海洋プログラムを再活性化する動きが始まっている。これは、地方行政機関の問題取組みのあり方を、海洋環境保全に限定した各部局ごとのアプローチから「持続可能な開発」の概念に沿った新たな責任負担へと拡大しようというものだ。その中心となるのが、陸上での社会的・経済的活動による環境汚染を防止するための国際行動計画(Global Programme of Action to Prevent Pollution from Land-based Activities)を実施することである。これには、考え方と制度面を見直すだけでなく、新しい概念や制度の導入が必要となる。この面で先行しているのが、地中海沿岸諸国である。これら諸国が共同で「持続可能な開発に関する地中海委員会」を設立したことは、まさに時代を先取りしたといってよい。この委員会では、政府機関と非政府組織が対等に扱われることになり、その結果、両者間の新しい関係が生まれることになった。委員会には、沿岸の地域社会も参加している。委員会が加盟国のトップレベルと接触する場合、環境大臣だけでなく、沿岸・海洋管理問題に何らかの形で関与するすべての他省庁の大臣とも直接連絡を取り合うことができるようになり、ここでも省庁の縄張りがようやく取り払われた。海洋プログラムに関しても同様の委員会を設置することが必要である。
1982年の第3回国連海洋法会議が、国連海洋法条約を採択して終了し、あとは各国の批准を待つばかりになった段階で、国連機構のなかに「海洋空間全体の相互緊密に関連した諸問題を検討」しうる機関は存在していなかった。15年を経た今、そうした機関の必要性が誰の目にも明らかであるにもかかわらず、依然として空白のままだ。
問題は、条約自体の欠陥に原因がある。これに関しては、他の一部の問題と同様、この条約は未完成の事業であり、結果というよりは過程なのである。他の条約が一般に、条約を見直し、ひいては改定するための当事国間における定期会議を規定しているのとは異なり、海洋法条約は、当事国会議の権限を著しく制限している。すなわち成立段階後の当事国会議の権限は、国際海洋法裁判所判事の定期的選出や同裁判所の諸経費の承認、および規則の改定などに限定されている。また、全当事国で構成されるその他唯一の機関である国際海底機構議会の権限は明らかに深海底の事項に限定されたものである。しかしながら、急速に変化を遂げる時代にあっては、定期的な見直しや改定を規定しない条約は、またたくまに歴史の中に埋没してしまうであろう。
理論的には、この問題に対処する方法は3通りある。
一つは、当事国会議の権限拡大だ。それによっておそらく最初は非公式に、そして後に条約改正によって、条約の実施の見直しや、総合的海洋政策の策定ができるようにする。
二番目は、国際海底機構議会の権限を拡大する方法だ。深海底採鉱がそれほど遠くないうちに現実の問題になる可能性が高いことが一つあり、他方、海洋空間の諸問題は緊密に相関しており、全体として検討する必要があることを考慮しなければならない。
三番目は、海洋空間の相互に関連したあらゆる問題を定期的に検討し、総合海洋政策を策定する責任を国連総会に負わせる ――この三つの選択肢が考えられる。
最初の2案には、現状では十分に活用されていない既存の機構を本来の目的のために利用できるという利点がある。欠点は、どちらの場合も、全世界が参加するわけではないという点である。また、UNCED後にできた、参加者が異なる海洋法条約以外のさまざまなレジームにも海洋空間をめぐる複雑な問題が生じる可能性も考えられる。最初の2案は、例えば生物多様性に関する条約や気候変動枠組み条約と海洋法との重複など、各種条約体制間で生じる海洋がらみの問題について相互関係を調整するのにも、適切とはいえない。
国連事務総長の報告で強調されているように、各種条約体制の関係から生じる問題を含め、海洋空間の相互緊密に関係したあらゆる諸問題に対処できる能力があるのは、世界各国が参加する国連総会をおいて他にない。しかしながら、国連総会にも欠点はある。すなわち、少なくとも2年に1回は数週間の議論が必要なこれらの問題に十分な時間を割くことができるとは思われないということだ。
この問題を解決するために、国連総会は、十分な時間をかけて総合的海洋政策の策定に当たる全体委員会を設置すべきである。この全体委員会の活動には、格上げされた地域海洋プログラムおよび海洋関係の権限を有する国連専門機関の代表と共に、非政府部門の代表も参加するべきである。
このいわゆる「海洋議会」は、海洋問題・海洋法局と国連持続可能な開発委員会の支援を受けるべきである。
ニューヨークの国連本部においては、一種の「海洋法疲れ」が見られる。国際海底機構、国際海洋法裁判所、大陸棚委員会、当事国会議と、すでに四つの新機構が設置されているのでこれで十分ではないか。さらにまだ必要というのなら、政府間海洋委員会、国連食糧農業機関など、既存の関係機関に頼めばよい――というわけだ。
しかし、これらの機関も、その新旧を問わず、相互に緊密に関連した海洋空間の諸問題を全体として検討するには役不足だ。海洋統治の総合的な体制を作り上げ、専門機関と条約やプログラムのサブシステムを整備した第3回国連海洋法会議のせっかくの成果も失われ、体制は再びさまざまな全く独立した条約体制に分裂する危険性をはらんでいる。このリスクはなんとしても回避しなければならない。さもなければ大混乱を招くことになろう。そして海洋および沿岸の持続可能な開発を達成し、自然環境、世界の気候および生物多様性を保全しようというあらゆる努力は徒労に終わることになる。
国際海洋年の1998年を歴史的な年にするためには、この「海洋議会」ともいうべき全体委員会の設置を決断すべきである。これこそ、他のあらゆる機構をも順調に機能させるために真に必要なことである。誰にも余計な経費がかかるわけではない。必要なのは政治的意思だけである。
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アラル海とカスピ海
世界でも有数な内陸湖の二つである、アラル海とカスピ海は、中央アジアの広大な草原に互いに数百キロも隔たずに位置している。どちらの湖も、人間の無分別な営みのために生態環境の破壊が進んでいる。アラル海はしだいに消滅しつつあり、カスピ海では水面が上昇しつつある。アラル海の湖岸線の後退は、アラル海に注いでいた二つの河川(アムダリアとシルダリア)の水を利用した灌漑設備が原因と考えられている。また、カスピ海では水面の上昇が湖岸の施設などに大きな被害を与えている。この二つの湖のどちらか一つと接している5カ国のソ連崩壊後の政策をなんとか調整することが肝要であるが、これが、湖の生態系管理の問題を一層深刻なものとしている。かつてはソ連とイランが唯一の沿岸国であったが、今では、新たな経済、政治、社会情勢等への整合に苦闘する国も含め、数多くの民族国家によるソ連崩壊後の政策調整が、問題解決の鍵を握っている。ここでは、この地域の生態環境の研究の権威である米国とロシアの科学者が、アラル海とカスピ海の現状を検証している。──編集部
瀕死のアラル海
マイケル・H・グランツ
今世紀最大の生態系の悲劇の一つが、アラル海の湖面縮小という、人工衛星からも認められる環境変化である。かつて繁栄した沿岸の集落は、今なお後退しつつある湖岸線から100キロ以上も離れた孤立した寒村となった。打ち捨てられた船が、干上がったかつての湖底に不気味に横たわり、地域の農業および住民の健康に甚大な影響が及んでいる。ソ連崩壊以来の深刻な経済危機の只中の事態である。
アラル海研究では屈指の米国の研究者マイケル・H・グランツ博士は、この悲劇的なシナリオを「緩行性の環境問題」と呼んでいる。それは、致命的な限界に達するまで、長期間にわたり徐々に、ほとんど目に見えない形で進行する。グランツ博士は、コロラド州ボールダーにある国立大気研究センターの首席研究員である。本論は、彼が共同編纂した国連大学刊行の『Central Eurasian Water Crisis(中央ユーラシアの水の危機)』の中の同博士の章“Creeping environmental problems in the Aral Sea basin(アラル海地域の緩行性の環境問題)”からの抜粋である。
──編集部
アラル海の消滅は、ここ数十年にわたり、ほとんど目に見えない形で徐々に進行してきた静かなカタストロフィーである。旧ソ連では「静かなチェルノブイリ」と呼ばれており、今や20世紀に人間が引き起こした重大な環境悪化の一つとして認識されている。
現代の環境劣化の多くには、ゆっくりと始まり、軽度ではあるが、長期にわたるプロセスの蓄積による結果であるという共通の特徴が見られる。これは、地震や台風、竜巻、津波などの急激に起こる自然災害とは対照的な「緩行性の環境問題」といえよう。そして、この緩行性の環境問題には、さまざまな学問領域や政治イデオロギーの違いを超えた、大きな問題が関わってくるのである。
このような問題には、ある共通の特徴が見られる。すなわち、変化はしているのだが、昨日と今日とを比べるとそれほど悪化していない、あるいは明日も今日とはそれほど変わらない速度で変化が進む、という点である。したがって、社会は(政府官僚同様に個人も)、これまでとは違った対応を迫られるほど、これらの変化が環境に対して重大な悪影響を及ぼしているということにほとんど気づかないのである。
しかしながら、徐々に長期間にわたって自然環境に蓄積していく様々な変化は、ある限界を超えると突如として重大な環境問題として現れる。適切な対策が速やかに講じられなければ(多くの場合講じられないのであるが)、深刻な環境破壊に至るまで静かに進行し続ける。
他者にリスクをもたらす
このように、緩行性の環境問題は、悪い方向に蓄積していき、少なくともある一定期間は目に見えない形で環境を変えていく。政府も個人も、「通常の活動」は許容し得るものと考えがちである。科学的にも不確かなことが、何の策も講じないことに拍車をかける。更に非難すべきは、「リスク・メーカー」とも呼ぶべき政策決定者である。その決定により、必ずしも自己に対してではなく、他者にリスクをもたらす政策決定者である。例えば、アラル海の水位が下がっていることに関しては、現実問題として、水位の低下を招くに至るような計画の実施を決めたモスクワの政策決定者には、なんら悪影響が及んでいない。問題の根底には、リスク・メーカーは、彼らの決定によって生じた環境危機に対して、多くの場合、責任を問われないということがある。
比較的最近まで、2本の河川、アムダリア川とシルダリア川からの流入水がアラル海の水位を安定したレベルに維持していた。何世紀にもわたり二つの川の流量のおよそ半分がアラル海に達していた。ところが、灌漑設備を施した綿花の生産の大規模な拡張が、この生態系のバランスを崩した。
中央アジアの農業はかなりの割合で灌漑に頼っている。域内の灌漑農業は、18世紀から19世紀の帝政ロシア征服の時代よりさらに数千年さかのぼる歴史を持つ。しかしながら、域内の灌漑にとって「新たな」側面は、地域の主要河川から大量の水が取水されるようになり、次いで耕作に適した土地の大半が綿花の生産に充てられたことである。1970年代後半から、シルダリア川の水は一滴もアラル海には注がなくなり、アムダリア川にしても、わずかな水量しか供給せず、その量は減り続けている。
アラル海の水位低下をめぐる環境悪化の可能性については、政策立案者が経済開発を進めるうえで、障害の克服に技術的な解決策があると盲信していた1950年代、1960年代でさえ、広く認識されていた。それは、ソ連政府が組織化された異議の表明を認めていない時代でもあった。環境悪化の危険性に関する記事が、少なくとも1960年代からソ連の雑誌に掲載されるようになり、他の言語にも翻訳された。しかしながら、アラル海の保護を訴えた最も熱心な擁護者でさえ、その範囲、変化の速度、その後明らかとなった悪化の深刻さを過小評価していた。
ここで留意すべき重要な点は、水位の低下は、アラル海地域で起きている多くの生態環境の変化の一つにすぎない、ということである。他にも、モノカルチャーの影響、水質低下と健康への悪影響、地元社会への重大な影響の可能性などが存在するのである。
綿花のモノカルチャーは、土壌に悪影響を及ぼしており、機械化、農薬、除草剤、肥料などへの依存をますます増大させている。これは社会・経済的に極めて危険なことである。モノカルチャーを基盤とする地域経済は、気候ならびに市場の変動性に対し非常に脆弱である。
水質の低下は、アラル海の魚介類の絶滅を引き起こしている。1977年にウズベク共和国の科学者2名が報告した漁獲量の激減は、政策決定者の無策が生態学的に有害な結果を引き起こしていることを示す重要な証拠を彼らに突きつけるものとなった。1970年代後半までには、かつて繁栄した漁業も、河川を通じてアラル海に流れ込んだ多量の汚染物質により、有害な影響を受けていることが極めて明白になった。今日では、アラル海で漁業は営まれていない。ムイナクとアラリスクのかつての魚港は、後退してしまった湖岸線から数十キロも離れている。
健康の代償:20年の寿命短縮
綿花のモノカルチャーへの依存はまた、人々の健康にも著しい影響を及ぼした。高い幼児死亡率と罹病率、「有毒」な水資源が直接の原因である食道障害の急増、胃腸障害、腸チフス、先天的奇形の高発生率、ウイルス性肝炎の大発生、母乳の汚染など、域内の影響について詳細に記録された文書が公表されたのは、ようやく最近になってからのことである。独立国家共同体の他の諸国に比べ平均寿命が20年も短い地域もある。また、綿花に特化した生産が健康に及ぼす悪影響は、アラル海周辺地域の保健医療施設の絶対的不足によって、さらに深刻なものとなっている。加えて、上水処理施設もまったく不十分であり(施設そのものがない地域も多い)、家庭では、河川や灌漑用水あるいは排水溝からの地表水を未処理のまま使用することを余儀なくされている。
地域住民にとって、現状を受け入れる以外の打開策は唯一、移住しかない。しかしながら故国を離れることを選択する人は少ない。したがって、住民の健康を改善し、あるいはアラル海周辺地域の環境を改善するための有効な対策がほとんどなされていないまま、悲惨な状況は増大するばかりである。というのも、地域の人口が2.6%から3.2%と極めて高い率で増加しており、このような人口増加率が続くと、21世紀前半には、地域の人口は現在の3,000万人から6,000万人に倍増してしまうものと予想されるからである。
風蝕作用から、漁業の崩壊、牧草地の消失に至るまで、今日アラル海地域に見られる環境の変化の一つ一つは、1960年代、1970年代のソ連の科学文献に記載されている。これらの緩行性の環境変化のそれぞれについて、認識及び対応が生まれる時点を識別し分析することは、科学的、社会的な意味合いにおいて極めて有益である。そのような研究結果は、アラル海地域のみならず世界各地において既存の緩行性環境問題に対処する、より有効なメカニズムを開発し、将来のそのような環境問題の発生を防ぐうえで、国内および国際的な意思決定者にとって大いに参考となるはずである。
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「母なる川ボルガ」が流れ着く先、カスピ海の氾濫
ゲナディ・N・ゴルベフ
強大な川ボルガ。ロシア人にとっては「小さな母なる川ボルガ」であるが、その流れが最後に行き着く先は、世界最大の内陸湖、カスピ海である。ロシア人の10人に4人は、ヨーロッパ最長の河川であるボルガ川沿いに暮らしている。ボルガは、カスピ海の水体系において主要な役割を果たしている。カスピ海は、自然界からのシグナルを正しく理解し、過去の事実を検証することの大切さを教えてくれる。科学者はかつて、近隣のアラル海の生態環境の崩壊を目の当たりにし、同様に急激な水位の低下を危惧した。しかし今日、カスピ海の水位はこれまでになく高く、氾濫して、沿岸に多大な被害を及ぼしている。初期の研究に基づいてとられた対策は、被害を一層甚大なものにしただけである。モスクワ国立大学地理学部のゲナディ・N・ゴルベフ博士が、カスピ海の問題を検証する。──編集部
カスピ海は、特異な性質を持つ湖で、極めて固有な特徴を数多く有している。例えば、その水位は、水収支を構成する要素の自然の変動があるため、大きく変化する。こうした水位の変化は、周辺地域の社会・経済的側面に多大な影響を及ぼす。
カスピ海は石油および天然ガス資源の宝庫でもあり、その探査・採収には有効な環境管理が必要とされる。その豊かさ故に、カスピ海は世界有数の重要性を持つ国際的水域となっており、多くの国々がその開発に多大な関心を寄せている。
カスピ海は、南北1,200キロメートルに及ぶ、およそ4,000平方キロメートルの内陸湖であり、東西の幅は170キロメートルから450キロメートルに及ぶ。総水量は80,000立方キロメートルである。しかしこの規模は、その水位によって大きく変わる。主に注ぎ込んでいるのは、ヨーロッパ最大の河川であるボルガ川であり、ボルガはカスピ海の水体系に重要な役割を果たす。ボルガはまた、多量の汚染物質を運び込み、チョウザメ数種の独特の個体群をはじめ、水生生態系に影響を及ぼしている。
ほぼすべてがロシア連邦内に位置するボルガ川流域には、ロシアの総人口のおよそ4割が生活しており、ロシア全土の工業および農業生産の3分の1がこの流域におけるものである。ボルガは長年にわたり、国の主要河川、「母なる川ボルガ」として認められてきた。ボルガ流域の適切な行動計画なくして、カスピ海の持続可能な総合的環境管理はありえず、そのような行動計画は、ロシア内陸からモスクワに至るまで、カスピ海に関する国際協力を広げるものとなろう。
カスピ海北部は、比較的水量も少なく水深も浅いことから、水文学的に、またそれ故に生態および経済面においても、最も脆弱である。北部の湖岸は湖底と同様、平坦である。湖岸線は極めて変化しやすい。その原因は、長期的な気候の変化による水位の変動とともに、短期間の地域の風の作用による水位の変化にある。典型的な現象として、一般に寒い季節には、主として南からの強風により水位が急増する。最も極端なケースには、水位が3メートルから4.5メートル上昇することもあり、平坦な地形のため内陸深くまで浸水する。湖岸線数百キロにわたり幅30キロから50キロの範囲で浸水が見られることもある。
基本的に乾燥した気候にこのような巨大な内陸湖ができたのは、主に大量の水が河川から流れ込んだことにある。1900年から1985年までの期間の観測データにおいて年平均298立方キロメートルにも及ぶこの水量のおよそ80%がボルガ川から流れ込んでいる。
川からの流入と降水量は、湖面からの蒸発作用によってほぼ均衡が保たれている。水収支の平均年間欠損は12立方キロメートルで、水位は年平均3.1センチ低下する。1900年から1985年までの期間の平均水位はマイナス27.35メートルであった。
20世紀の最初の30年間、カスピ海の水収支は、マイナスおよそ26.2メートルを前後する水位を保ち比較的安定していた。1930年から1977年の期間には、主として河川流量の減少により、水収支は欠損が生じた。そしてこの20年間は収支はプラスに転じ、1977年のマイナスおよそ29メートルの低水位から上昇の一途をたどっている。
およそ50年間の長期にわたるカスピ海の水位の低下は恐慌状態を引き起こし、混乱は1970年代に最高潮に達した。様々な方法を使って数々の長期的水位予測が発表された。研究者は、主として灌漑あるいは新たに建設された巨大な貯水池を満たすために、カスピ海から水が引かれたため、水位が下がったと考えた。実際は、水位の変化のおよそ90%は自然の変動によるものである。人間の介在がなければ、水位は現在よりおよそ1.5メートル高くなっていたかもしれない。
流入する水量と蒸発する量に基づいた分析は、その結果があたかも「ホワイトノイズ」のように無秩序であり、役に立たず、その他太陽放射線や大気の循環を基盤とする予測法等いくつかの試みがなされたが、どれも満足できる結果が得られなかった。その中で唯一信頼できると思える方法として、水量の減少の予測があったが、それによれば、カスピ海の水位は下がり続けるであろうという結論が出された。
こうした予測は、カスピ海の東わずか数百キロに位置するアラル海の同様の急激な水位の低下によって裏付けられたかにみえた。このような状況にあって、例えば、国内北部から南部に大量の水を運ぶプロジェクトなど、カスピ海の水位を維持するために、多額の費用のかかる思い切った施策が考えられた。今だからいえることだが、もしこのような施策が実施されていたならば、多大な被害をもたらす多くの不測の事態を招いていたことだろう。
1980年代、事態は一転した。カスピ海の水位は多くの専門家の予測に反し上昇を続けた。水位が上昇し続けるに伴い、氾濫や浸水等による被害が深刻化しつつある。
水位の変動は、経済活動にも多大な影響を及ぼすため、予想される水位、ならびに最高、最低水位がどのようなものとなるかを見極めることが重要となってくる。
歴史を振り返ると、興味深い事実が判明する。1837年以降現在までの機器による観測の時代、水位はマイナス25メートルから29メートルの間を変動し、平均的には海面下27メートルであった。更にさかのぼると、6世紀から現在まで、平均水位は同様にマイナス27メートルであったと算出できる。そして、完新世もしくは現世を通して、約1万年の長い時間スケールでも、平均的湖水標高は海面下25メートルであり、その差はわずかである。
また最近になって、カスピ海の状態は、気候の変動によっても左右されるとの結論に至った。大きな気候変動が起こると、水位がマイナス26メートルの平均値に戻るまでに数百年の年月を要する。水位の急激な変動は、カスピ海の特徴である。これは、地域経済に深刻な影響を及ぼす現実であり、湖岸地域の開発を考えるうえで避けることのできない課題である。
1930年から1977年の期間、その時点で予測された水位に合わせて、道路、港湾、石油施設などが建設されたが、現在では水位が予測より2メートル上昇しており、カスピ海沿岸の5カ国は甚大な経済的損害を被っている。1930年代から1970年代に建設された比較的湖岸近くの多くの住宅、アパート、ホテル、道路などは危険な状態にあり、すでに破壊されたものも出ているという状況にある。
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歴史ある病める海─地中海
フランソワ・ドゥマンジュ
フィリップII世時代の地中海世界に関する権威ある論文の中で、フェルナンド・ブローデルは、地中海水域を「海の複合体」と紹介している。ブローデルは、地中海世界の生態系を形成し、今なお影響を及ぼしている様々な力の複雑な相互作用を繰り返し論証している。論文では、聖書にあるノアの箱舟の大洪水が、地中海を不均衡な状態にし、現在の地中海の漁獲高にも影響を及ぼしていたのではないかと説いている。
ドゥマンジュ博士は、地中海の環境に関する長期的な歴史的検証で高い評価を得ている。博士は、ジャック・クストー氏の後任としてモナコにある海洋学研究所所長を務めると共に、地中海科学探査国際委員会(International Commission for Scientific Exploration of the Mediterranean Sea−CIESM)の事務局長も兼務する。1914年にアルバートI世によって設立されたCIESMは、世界最古の国際科学機関の一つである。80余年にわたり、CIESMは二つの世界大戦を経て、海洋地質学から漁業や化学汚染に至るまで、あらゆる海洋研究に従事してきた。以下に掲載する論文は、1997年に出版された『Environmental Change and the Mediterranean(UN University Lectures 16,17)(環境の変化と地中海)』に収められているドゥマンジュ博士の講演「地中海の危機」からの抜粋である。──編集部
数百万年前、数千年前、そして20世紀と、さまざまな時間スケールで起きた地中海の地球物理学、地質学、生物学的危機についてお話ししたい。
まず最初に、地中海が干上がり、生命が消滅したおよそ500万年前の中新世後期(メシニアン期)を検証してみると(図1)、当時ジブラルタル海峡はふさがっており、10万年から20万年間にわたり海水は完全に蒸発していた。それ以前のおよそ100万年間は、時には東に、時には西に地中海は開口部を変え、均衡が保たれていた。
干上がった地中海の海盆はサハラ砂漠のようであったが、海水面より3,000メートル下であった。海盆の底には、総量150万立方キロの膨大な岩塩が堆積している。この地層の厚みは、(地中海西部の)バレアレス海盆では800メートル、(東部の)レバント海盆では1,800メートルに及び、2,000メートルから2,500メートルもある箇所もある。これらの地層は、世界で最も有望な石油および天然ガス資源の宝庫である可能性があるが、残念ながら3,000メートルの深海底である。
この時代、地中海は、中央に巨大な浅い塩水湖があり、降雨の後には浅い湖になることもある滑らかな平地のセブカが広がり、周縁部には雨季以外は水のない川床であるワジ(あるいはくぼ地)が山脈から走り、ちょうど現在のサハラ砂漠と同じ役割を果たしていた。その後、ジブラルタル海峡が開口し、海盆には再び水が満ちた。しかし当初は大西洋からで、紅海から海水が入り込んだのは後になってからである。そこで最初に寒水に棲息する生物種が再び住むようになった。これは現代の生態環境を理解するうえでの鍵となる。こうして500万年前、地中海は寒水系の生物種が住み着いた熱帯地域となった。これは、安定した個体数を保有することができない現在の地中海の脆弱性を説明するパラドックスである。
第二の危機─18,000年前
第二の危機は、およそ18,000年前のヨーロッパの最終氷期であるウルム氷期の終わりに起きたと考えられる。当時地中海の総体的な海水面は、氷に閉ざされた世界中の海と同様、現在よりおよそ120メートル低かった。アドリア海中北部が出現し、黒海は依然として小さな淡水湖で、ジブラルタル海峡は今のおよそ30%足らずの小さな海路があるだけだった。大西洋から流入する海水は減り、蒸発作用も同様に減少した。
冬季と夏季の平均気温を見る時、その時代の地中海は一つではなく、三つに分断していた点に留意することが極めて重要である。東部レバント海盆の冬季の気温は摂氏15度から21度、夏季は21度から25度で、依然熱帯気候が続き、暖水に棲息する種がこの狭い地域に生存していた。黒海から流れ込み、リビア沿岸にまで及ぶ冷たい淡水が流れる「狭い入り江」があった。これが、レバントを中央の海盆から切り離す熱の壁の役割を果たしていた。
中央の海盆は、冬季の温度が最高11度、夏季が19度から24度と、ほぼ現在の地中海に近い状態にあった。しかしながら西部の海盆は、冬季は5度から9度、夏季は12度から16度と、北海やノルウェー海のような環境にあった。鯨、ペンギン、あざらしなど、亜北極地帯の動物相が見られた。このことから、今日でも西部海盆に3,000頭以上ものシロナガスクジラが棲息する理由が明らかである。
腐泥─生物絶滅
次の地中海の危機は、「腐泥」と呼ばれる現象が起きた8,000年前にさかのぼる。これは、水文学的状況の変化によりあらゆる海洋生物体が大量死するもので、50年から60年の極めて短い期間に起こり得る。これが、紀元前およそ6000年、エジプト文明が牧畜生活から国家ができファラオが治めた時代に移行した頃に起こった。聖書のノアの箱舟の大洪水とも一致する時期である。
中東に大雨が降り、洪水が起き、これが世界最大の地溝帯である東アフリカのリフトバリーの湖底にまで流れ、ナイルの水位が大幅に上がったものと思われる。その水量は現在のアマゾン川ほどにもなった。このように膨大な量の流水のため、地中海東部は40年から60年の短期間に表面が淡水層に覆われた。これにより、層化現象が起きた。表面の淡水が大気と海水との接触を断ち、淡水層の下の海洋生物は酸素不足のため絶滅したのである。地中海海底におよそ20センチほどの黒い有機物である腐泥の形成が発見されたのは1952年のことである。しかし、海の生命が極めて短期間に実際に絶滅したことが確認されたのは、数千回に及ぶ掘削による研究を重ねてからのことであった。
同様の危機がそれより後に黒海でも起こった。およそ7,450年(±130年)前まで黒海は淡水湖であった。しかしながら海水面が上がり、地中海の海水が黒海の海盆にまで入り込むようになって、変わり始めた。霰石(アラゴナイト)の堆積は、およそ5,000年に及ぶ総体的な水性生物の死滅を示唆するものである。この層はまた、ティラ島の爆発やその後の地中海の火山灰の致命的な堆積など、極めて客観的なデータとも相関している。
数多くの学問分野の必要性
地中海におけるこれらの危機を理解することは、今後気候変動が起きた場合にどのようなことが起こり得るかを説明するうえで有効であり、重要である。データから、水文学、堆積学、生物学が相互に影響し合っていることが明らかである。これは、学際的アプローチなしには、地中海海盆を理解できないことを実証するものである。
腐泥は単なる理論ではないことは、最近の歴史によって、十分実証されている。1991年の湾岸戦争後、腐泥が発生する前と同じような状況に陥り、まさに大災害にいたるところであった。クウェートの油井が燃え、その黒煙がアラビア半島、ペルシャ湾を覆い、アフリカ東部にまで達した。ノアの大洪水を引き起こしたような、厳しい寒さとモンスーンのような豪雨をもたらす気象状況が生じ、再び地中海東部のあらゆる海洋生物の生命を脅かした。幸いなことに、国際社会は手遅れになる前に油田火災を消火することができた。実際、1991年から1992年にかけての中東の冬は、雪も多く、寒さも厳しかった。
レセップス生物
では、今世紀の地中海危機に目を転じてみよう。海水面のわずかな上昇がどのようなことを意味するのかが明確となる。すでに述べたように、地中海は、寒水系の生物種が棲息する暖かい海である。紅海の現在の水位は地中海よりもおよそ1.2メートル高く、水圧によって海水を北方に押している。ナイル川はかつて、スエズ運河の入口で淡水の防壁の役割を果たしていた。しかしアスワンダムができ、ナイル川の淡水の流入をかつてのレベルの10%以下に押え込むことになった。その結果、スエズ運河は紅海の水が地中海に流れ込むオープン・ゲートと化してしまった。
この移動現象は、スエズ運河の建設者として有名なレセップスの名をとって、レセプシアン移動と呼ばれている。イスラエル沿岸の漁師は近年、地中海の種よりも紅海種の魚の方が多く獲れると報告している。毎年地中海では、紅海、時にはインド洋の種が5から10種新たに発見されている。皮肉なことに、地中海は、海洋生物が均衡を保っていた数百万年前のメシニアン期以前の状況に戻りつつあるのかもしれない。これは、このような古代海洋の変化に対する脆弱性と能力を試す試練にほかならない。人類は、地質学上の時間スケールと比べて、極めて短期間に環境を変え、危機的状況を生み出せることを実証してしまったのである。
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気候、歴史、海洋
アリー・S・イサール
地球の温暖化は638年(西暦)にサラセン軍がエルサレムを奪取するのに一役買っていたのだろうか。これは、1996年11月、国連大学本部に新設された地球環境パートナーシッププラザで行われた講演で、水資源問題の専門家であるアリー・S・イサール教授が提示した挑戦的な問題提起の一つである。地球の一部地域で降水量が減る一方、他地域では増大するという将来の予測が立てられる中、気候変動問題を抜きにして、将来の地球の水資源問題を考えることはできないのである。
環境科学は、歴史を新しい観点から考察することを可能にする。ユネスコのために実施した水の科学研究において、イサール教授は、同位体年代測定法(放射分析年代測定)を使って、中世におけるガリラヤ湖周辺の温暖化と寒冷化を調査した。湖でボーリングしたコア中の炭化物に、質量数が重い同位体元素の増加が認められるということは、乾燥温暖化が始まったことを示している。その現象が、7世紀、アラブ軍が中東に侵攻し、東ビザンチン帝国の勢力が衰える直前に該当する年代に見られる。考古学的記録は、同時期にビザンチン帝国の集落の縮小を示しており、これは、砂漠化の始まりがイスラム教徒の征服者たちのパレスチナ出征を助けた可能性を示唆している。
このように、化学、考古学、歴史学を融合することによって、気候の変動が社会に及ぼし得る影響について貴重な洞察を加えることが可能となる。例えば、中国についてこのような視点で考えてみると、耕作地が増大した温暖湿潤の気候の時代が認められ、このことから、地球温暖化は、結局、中国の食糧生産能力に良い影響を与えるのではないかとの興味深い考えに至る。しかしながら中東では、温室効果は、すでに深刻化している水不足を更に悪化させるものと思われる。イサール教授は、イスラエルのネゲブにあるベン・グリオン大学のヤコブ・ブラウシュタイン砂漠研究所水資源センターで研究活動に従事している。以下に紹介する論文は、1997年に出版された『Environmental Change and the Mediterranean(UN University Lectures 16,17)(環境変化と地中海)』に収められている同教授の講演「気候変動:プラスのプロセスか、マイナスのプロセスか」の抄録である。──編集部
ユネスコのために実施した研究では、「過去は未来を理解する鍵である」を原則に据え、過去1万年の自然環境および社会経済環境の変化に関するデータを活用した。
研究は、同位体年代測定の結果の解釈に関わるもので、同位体年代測定法を使って得られた年代と地層の形成状態を判断した。データは、イスラエル北部のガリラヤの洞穴から採取した石筍サンプルと共に、ガリラヤ湖から採取したコア・サンプルの湖成炭化物から収集した。更に、ネゲブ砂漠の詳細な研究から得た考古学データも検討した。また、死海および地中海の地質時代の堆積層の研究も組み込んだ。
最も重要なことは、ガリラヤ湖ならびに洞穴の石筍の両方の科学分析から得た情報が、ベールシェバとアラド周辺の100平方キロメートルの平原の詳細な調査から得た考古学データと相関することが明らかになったことである。このことから、気候変動がイスラエルの半乾燥地帯の砂漠化の主因であった(更に、一部歴史家が考えているような数世紀にわたる侵略軍による破壊が主因ではなかった)という重大な結論に達したのである。
ユダヤの衰亡
同位体年代測定の結果から判断すると、鉄器時代初期の紀元前およそ700年頃に、質量数が重い同位体元素が増加していることがわかる。これは、新たな乾燥化の証拠かもしれないが、集落の数とは相関しない。集落の減少が明白となるのは、紀元前500年頃になってからである。その時代、最初のユダヤ王国が滅亡し、続いてネゲブ砂漠も一部放棄された。これがメソポタミアの征服軍の猛襲によるものであったのか、あるいは乾燥化によるものであったのかは明らかではない。
この地域においては、同位体年代測定結果から判断して、ビザンチン帝国時代の数世紀を通じて、涼しく、温暖な気候であったことがうかがえる。しかしサンプルを調べると600年頃には、質量数が重い同位体元素が再び増加しており、イスラム勢力による征服が始まった頃に、再度砂漠化の時期が訪れたことが推測される(エルサレムは638年にイスラム軍の手に落ちた)。
小氷河期
ガリラヤ湖で採取した試料の同位体の減衰曲線から、1300年から1500年の間に新たな減衰が識別される。これは、再度寒冷多湿の時期が訪れたことを示すものである。それは、十字軍の時代と呼応するものであり、またヨーロッパにおいて栽培期が短くなり、農業が荒廃した14世紀から17世紀までの寒冷化の小氷河期に一致する。しかしながらこのような短期間に年代を定めることには問題がある。これらの気象の変化は、ネゲブ砂漠への再定住には反映されていない。
中東および東アジアは、季節風(モンスーン)を生み出す地球気候システムによって気候の上では結びついている。湿った温かな海上の気団が東方に運ばれ、世界のその地域の農業にとって不可欠な季節風となる。今日では、南東の夏季節風が中国の大半の地域に影響を及ぼしている。
中国の気候と歴史
中国においても、中東に見られるような気候の変動と歴史的事件の相関関係が見られる。とりわけ、中国の気候は、国内の人口移動と関係しているようである。中国の科学者も、歴史統計、中国の湖の変容に関する文献からの情報、中国の砂漠地帯における農村都市の歴史、黄河の洪水に関する報告の関連付けを試みている。
中国の大規模な人口移動は、社会政治不安と共に、モンゴル人による北方からの侵攻に伴い発生している。そのような人口移動は5回にわたり見られたが、いずれも寒冷化が進んだ著しい気候の変動期に関連している。
最初の人口移動は、北西からの遊牧民が東方に移動し、殷を滅ぼし、周王朝を設立したおよそ紀元前1000年の頃に見られた。この人口移動の発端は、氷河と雪線がチベットの山脈の標高の低いところまで下降してきたことにあるようである。中国西部および北部の湖は塩分が増え、砂丘が出現した。
寒く乾燥した時代には、農業・畜産の北限が南方に移動している。300年から500年には、北限は以前より南に200キロから400キロ移動した。これは、匈奴による北方侵略後のことであり、この時代中国は南北朝に分断された。その後中国は、温暖湿潤な気候となり、中国王朝は再統一され、繁栄した。
湿潤の中国、乾燥のレバント(地中海東部沿岸諸国地方)
この二つの地域のデータを相関させてみると、東アジアの寒冷乾燥期と地中海の寒冷湿潤期とが対応することが明らかとなる。また反対に、中国の温暖湿潤期と中東の温暖乾燥期が対応する。紀元前1000年頃、中国で寒冷化が始まると、中東では温暖乾燥の気候となり始めた。後には、イスラム支配下のレバントが温暖乾燥期になると、中国は温暖湿潤期に入る。
このような所見、結論は、地球規模の気候のシミュレーションで得られた他の結果とも一致し、最も激しい季節風は、間氷期に起こることが示唆される。しかしながら、季節風が吹く年には、東アジアの人々には払わなければならない代償がある。洪水による犠牲者と損害である。
この研究の結果、中東に関しては、予想される地球温暖化により地域の干ばつはさらに進むものと予測される。この結果、すでに深刻化している水問題がさらに悪化することはほぼ間違いなく、さらに域内の脆弱な社会経済の均衡を危険にさらしかねないであろう。このような中東の既存の不吉なシナリオを一変させるためには、水資源を開発・管理する画期的な新しい方法の研究開発を推進していくことが不可欠である。
皮肉なことに、このような温暖化は、中国の農業にとってはプラスに働く可能性がある。気候の変動は、とりわけ季節風帯にある国々に好影響を及ぼすようである。しかしながら、洪水による損害を軽減し、積極的に水を活用するためには、手遅れにならないうちに予防策をとることが必要である。世界の農業人口の大多数がこれらの国々に居住しており、したがって、余剰の水を有益な資源に転じることができたら、温室効果も好影響を及ぼすかもしれない。結局、真に必要なのは、気候変動が及ぼし得る影響に関して、水資源の開発、管理および活用方法に関連するあらゆる面において、これまでにない学際的な研究協力を促進することなのである。
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水は21世紀の石油か
中山 幹康
水資源を得るための競争の激化は、世界中で人間の安全に対する大きな脅威となっている。21世紀には,水が紛争の大きな火種として、現在の石油と似たような存在になる可能性がある。
Work in Progress本号に掲載されているさまざまな論文が明らかにしているとおり、水に関わる紛争は、ドナウ川からカスピ海、さらには肥沃なガンジス・ブラマプトラ川流域に至るまで、さまざまな地政学的な条件の下で生じている。環境の悪化、人口の増大、不公平な水資源へのアクセスはすべて、こうした不和の火に油を注いでいる。これらの紛争は、国連機関の調停能力に大きな制約を与えている。国連による調停は、国際的な水紛争の解決にあまり大きな効果を上げていないことは事実であり、この分野での国連の成果は限られている。
世界の人口が増え続け、消費量が拡大していく中で、水資源の問題は深刻化を免れない。あらゆる生命に不可欠でありながら、供給がますます先細っていく資源であるという意味で、水は21世紀の石油となる可能性を秘めている。地下水層の枯渇は年々進んでいる。これは、現在のために将来を犠牲にしていること、すなわち、本来は将来のために残しておかねばならない種籾を食べてしまっていることの証である。国連と関連諸機関が水を巡る紛争に直面し続けるであろうことは、ほぼ間違いない。その意味で、国際的な調停努力について、成功例からも失敗例からも、より多くを学ばなければならない。宇都宮大学農学部の中山幹康教授による以下の論文の趣旨はここにある。中山教授は、水資源に関する国連の研究活動に深く関与し、アラル海からチャド湖、さらにはザンベジ川に至るまで、世界中の潜在的な水資源紛争地帯を数多く訪れている。――編集部
複数の国にまたがって流れる河川の数は、世界中で200を越える。湖沼や地下水層の中にも、国境を越えて(あるいはその下に)広がっているものが多い。世界人口の60%程度が、これら国際(淡水)流域に住んでいる。このような国際流域における水資源の配分および利用を律する強制力のある法律は存在しない。それでもなお、あるいはそれ故に、国連はこの分野の活動に力を注ぐ必要がある。
人口増加,都市化,環境悪化などの帰結として、人々に十分な水を供給することは、世界各地で大きな問題となっている。国際流域においては、各国が共有している水資源の利用を合理化することが望まれる。特に、水不足がすでに経済成長の制約となっている乾燥・半乾燥地帯に位置する国際流域においては、流域国が共有する水資源を巡り、地域的な緊張と紛争が発生する可能性が高まるものと見られる。
識者の中には、特に水が不足する中東などの地域において、国際流域の流域国間での緊張と紛争の発生を懸念する向きが多い。ブトロス・ブトロス=ガーリ前国連事務総長は、水紛争の結果、中東地域に戦争が勃発する可能性を指摘し、その懸念を幾度か表明した。前事務総長の母国であるエジプトも、ナイル川の流れを妨げようとする他国には、軍事力による対処をも考慮するという方針を打ち出している。
1990年代はじめ、トルコは、ユーフラテス川の水の取り分増大を主張するシリアの要求を退けた。ユーフラテス川は、人類最古の農耕の水源ともなった川である。当時のトルコのスレイマン・デミレル首相は「我々はシリアの石油資源をよこせとは言わない。だから彼らも我が国の水資源を共有させろとは要求できない」と述べた。1996年にイスタンブールで開催された第2回国連人間居住会議のウォーリー・エンダウ事務局長が次のように述べたのも、自然なことといえる。「今後50年間で,国家および民族間の熾烈な紛争の根源は,石油から水へと移っていくのではなかろうか。」
世界中の淡水資源は逼迫しており、これに関わる環境にも悪化が生じている。国際社会は水量の点でも水質の点でも、国際流域における水資源管理を改善するための方法論を必要としている。しかし、国際流域について、このような目標を達成することは容易でない。それは、より良い水資源管理のための前提である流域国間の協調が、通常は得られないからである。その結果、流域国間の紛争が未解決であるために、他国と共有する水資源を自国のために十分に活用できない国が多くなっている。
国連大学では現在、国際流域での水資源のより良い管理方法に関する学術的な議論を促進しようと努めている。これは、国連システム内における、水資源の公平な配分を実現しようとする従来からの活動を継承するものである。国連は過去に何度も、国際河川を共有する国家間の水資源を巡る紛争を緩和するために助力するよう求められている。
国際流域における、流域国間での水資源の配分と利用について、強制力を持つ法律は存在しないが、国際河川に関する行動綱領と法的枠組は徐々に出来上がりつつある。1977年の国連水会議で採択され、開催地であったアルゼンチンの都市に因んで命名された「マル・デル・プラタ行動計画」は過去20年間にわたり、国際的な指針であった。1992年、アイルランドのダブリンで世界気象機関が開催した「水および環境に関する国際会議」や、同年にリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(UNCED)」でも、淡水資源の問題は主要な議題の一つとして取り上げられた。
国連は,淡水資源の利用に関する国際的な法制度の構築にも関わっている。今から30年ほど前、1970年に採択された総会決議は、国際河川の非航行目的の利用に適用されるべき法律を起草するよう要請した。これを受けて、国連国際法委員会(ILC)は一連の「国際河川の非航行目的利用に関する規則」を策定した。この規則は1997年、総会によって採択された。規則は、個別の国際河川流域に適用できる一般原則を提供することを目的とし、「公平で合理的な利用」という原則を明確に打ち出している。また、淡水資源を共有する国々に対しては、他国に害を与えかねない行為を慎むことを求めている。
科学的な分野においては、ユネスコの「国際水文の10年」が、世界の大河川に関する知識の向上に貢献した。1965年のユネスコ水プログラムの発足以来続けられてきた研究は、多くの国際流域における管理手法の合理化に資するものとなった。水文学や水資源管理学の研究者にとっては、世界気象機関の運営による「地球流出量データ・センター」の利用も可能となっている。世界の淡水資源の水質については、UNEPとWHOが共同で監視と評価を行っている。
しかし、国連システムが多大な時間と努力を費やしているにもかかわらず、国際機関は現在まで、淡水資源に係わる紛争の調停にはあまり成功していない。国連のメカニズムは、水紛争に伴って発生する国家間の対立を緩和するためには、限定された効用しか有していないようである。「公平で合理的な利用」という概念は、称賛に値するものではあるが、さまざまな解釈が可能であり、意味するところが曖昧になりかねないことも、その一因であろう。
ごく限られたケースではあるが、国際社会は近年、国際流域における流域国間の合意形成に成功している。例えばアフリカでは、UNEPが「ザンベジ行動計画」の策定に成功し、同計画は1987年、ザンベジ川の主要な流域国によって採択された。アジアでは、メコン川流域に関する新たな協力のための枠組策定において、UNDPが調停役を果たした。また、1997年には、ドナウ川に関するハンガリーとスロバキア間での「ガプシコボ・ナジマロシュ・プロジェクト」紛争に、国際司法裁判所が裁定を下した(詳細については6〜7ページ参照)。
国際的な水紛争に関する国連の過去の実績も、やはり限られているが、いくつかの例外的な事例では顕著な成果が見られた。例えば、1947年のインド亜大陸分割に伴って勃発したインダス川をめぐるインド・パキスタン間の12年にわたる紛争の解決には、世界銀行が重要な調停役を果たした。両国が共有するインダス川の水資源の利用について合意した1960年の「インダス川条約」は、世界銀行の「サクセス・ストーリー」として広く知られている。
1957年に国連のアジア極東経済委員会がメコン川流域国の経済成長を目的に設置した「メコン委員会」も、一つの成功例としてあげられよう。当初予定されていた大規模ダムは(主として同地域における長年の戦争と、環境への影響に対する懸念のため)まだ建設されていないが、ここでの国連のイニシアチブは、流域国間の協力の促進に効果を上げている。
今後、淡水資源をめぐる紛争がさらに激化することは避けられないと見られるため、この分野における国連の役割は、より重要になると思われる。国際流域での総合的な水資源の管理を促進する方法について、多くの研究がなされることが極めて望ましい。著者も数件の事例研究に関わったが、これによっていくつかの要件が明らかにされたのではないかと考えている。国際機関による努力が失敗したケース、成功したケースの双方について分析が行われた。その中にはアラル海およびカスピ海、チャド湖、ならびに、ドナウ川、ガンジス川、インダス川、メコン川、ナイル川、オレンジ川およびザンベジ川の事例が含まれている。
これらの事例の政治的背景や地理的条件は極めて多様であるが、国際機関による調停が成果をあげた事例については、いくつかの共通点が見られる。まず、国際河川の統合的な共同管理を可能にする組織の設立と、協議のための規定を確立することは極めて有用である。その他の重要な要件としては、当事国が協調する意志を有すること、当該国内において高次元での政治的な決定がなされ得ること、資金援助能力を持つ中立的な第三者が存在すること、などがあげられる。各事例についての詳細な分析を含む研究結果は、「国際水域における国際機関」のタイトルで、国連大学出版部から研究書として来年出版される予定である。
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科学的観点から見た水
グレン・パオレット
ある場所で漁獲量が減少した場合、その原因として深刻な水質汚染、近辺での過剰な住宅建設あるいは魚の乱獲のいずれか、またはそのすべての組み合わせがあげられる場合が多い。国連大学は水生資源に関するこの種の影響について、相互関連性のより高い情報を構築し、国際的な水管理の効果および合理性向上の支援を図っている。
国連大学の研究で用いられる化学的モニタリング技術は、人体や環境に直接影響を及ぼす水質汚染物質に関する情報を得るための高度な科学ツールである。東京の国連大学本部には、国連大学と日本の環境庁の共同事業である「地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)」が設置されているが、これらの情報は、GEICのデータベースに登録され、ホームページ上で公開されていることにより、その有用性を大きく増すことになる。GEICは、環境の持続可能性に関する世界的な協力の促進と理解の向上を目指している。GEICの責任者であった環境問題の専門家グレン・パオレット氏による以下の論文では、国連大学の水質モニタリング活動の一部が披露される。――編集部
化学物質モニタリングと聞くと、何か深遠な技術を想像されるかもしれないが、実際のところこれは、極めて実用的な開発ツールであり、水生生態系に関して正しい戦略的決定を下すうえで鍵を握る情報を提供できるものである。研究対象地域である東アジアでは、さまざまな開発の結果、沿岸部の陸地でも水中でも環境が悪化している。国連大学の研究は、こうした水域における有毒化学汚染物質のモニタリングを目的としている。
国連大学は東アジアで2件の環境モニタリング調査を実施中である。うち一つは、地球上における海洋汚染の80%以上の原因となっている陸地起因の水質汚染源に関するものである。陸地汚染源に関する研究は、陸上汚染活動に関する国際合意とも結びついたものであるが、その主なものとしては、1995年の「陸地汚染源に関するワシントン行動計画」があげられる。
もう一つのプロジェクト「アジア太平洋地域におけるイガイ監視」は、同地域の沿岸水域に生息するイガイのモニタリングを行っている。UNESCO-IOCとの共同で実施している「イガイ監視」には、地域内の政府系機関が多数参加している。イガイは水を浄化し、有害物質を体内に蓄積する特徴を持っているため、これを沿岸水域からサンプル採取し、汚染指標として分析を行っている。
この二つのプロジェクトから、当該地域の環境シナリオが開発されており、誰が、いつ、どこで、どのような行動をとれば、持続可能な開発プロジェクトにもっとも貢献できるかに関してオプションを策定中である。国際的な合意は不可欠な相互連続性を考慮に入れていないことが多い。単純な生態系でも、相互連関とフィードバックが迷路のように絡み合っている可能性がある。別個の環境問題に見えることでも、事実上は、原因と結果の双方において結びついていることがある。
例えば、湾内および河口部の漁獲量は、汚染、生息地破壊、乱獲など、さまざまな要因によって減少しうる。それも、複数の要因が絡み合っていることのほうが多い。法律、あるいは当局によって化学汚染物質の排出が規制されていても、海洋生息地を破壊するような建造物が新築されていたり、新たな漁業権が認可されていたりする。国際法は重要なツールではあるが、各々の環境問題を個別に取り扱う傾向がある。また、各国は合意された課題がなければ、環境問題の一般的な検討を行わない。
しかし、この傾向は、さまざまなアクターが関与する「環境ガバナンス」と呼ばれるものへと、急速な変化を遂げつつある。今日では、企業、NGO、地域団体その他が、国内的・国際的義務の履行とガバナンスに関与している。新しいグローバルなシナリオが生まれつつある。新たな情報技術は、台頭しつつあるアクターに強力な発言力を与えることで、この動きに大きく貢献している。
この新しいパラダイムの中には、いくつかの要件の生成を見てとることができる。その中には次のようなものが含まれる。
- 国内法と国際法及び国際協定の関連性のより綿密な検討
- NGOの参加形態の評価
- 行政政策の検討と精緻化
- 透明性の向上
- 情報の流れをプロセスに組み込める革新的な方法
地域データ
新法を起草する際、法律家と行政担当官は信頼できる基礎的環境データの不可欠性を忘れがちである。国連大学のモニタリング・プロジェクトは、研究と成果判断の基礎となるベンチマークが必要であることを念頭に、作業を進めている。例えば、各国政府は国際会議において、化学的分析およびその他のモニタリング方法論を、地域レベルで標準化する必要性を一貫して指摘してきた。しかし、このような標準化の実施は極めて難しいことが判明している。
二国間での化学的モニタリング・プロジェクトには、成功例も多く見られるものの、多国間のモニタリング作業が成功した例は皆無に等しい。その実施は困難かつ費用がかかるものであり、参加する科学者には訓練、機材およびサポートが必要であり、データの質はよくないことが多く、政府と研究機関の幅広い協力が不可欠となるからである。多国間モニタリング・プログラムは、得られたデータが国家の輸出主導型経済の推進努力に逆行するものであるなど、政治的問題に突き当たることもある。
東アジアにおいては、信頼できる地域データは存在しないか、あっても入手が難しい。この地域のデータを開発するためには、研修を通じて技術と知識を移転し、その上でデータの産出を要請する必要がある。データが測定され、その質が保証されれば、研究者などによる実効的な環境評価が可能になる。政策研究を通じ、このデータを政府および非政府セクターにとって価値のある情報に転換することもできる。
国連大学のアプローチ
国連大学によるモニタリングは、各国がすでに多国間モニタリングに合意しているという事実に基づいている。現在は中国、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、シンガポール、台湾、タイおよびベトナムでモニタリング・プロジェクトが展開中である。
国連大学は多種多様な方法で地域的モニタリングを推進している。参加する科学者には強力なサポートが提供される。科学者の参加を重視するため、「ボトムアップ」型のアプローチが用いられている。科学者は責任を持ち、利益を享受し、提案を行うべく、より大きな自由を与えられるという「民営化」の利点も強調されている。参加する科学者には、最先端技術の研修から強力なネットワーキング設備に至るまで、数々のインセンティブが提供される。
母国で引き続きノウハウを広められるよう、「教官研修」に全般的な重点が置かれている。1998年3月には、タイで「教官研修」ワークショップが開催された。ここで取り扱われた技術は、既存の国内モニタリング・プログラムに組み入れることができる。
PCBのモニタリング
国連大学の東アジアでのモニタリングは、汚染物質の中でもポリ塩化ビフェニール(PCB)を特に対象としている。かつては変圧器に広く用いられていたこの化合物は、人体に悪影響を及ぼすことが明らかになり、1985年から国際的に使用禁止となっている。その処理には多額の費用がかかり、適切な処理には専用の機材も必要になることから、廃棄物としての海洋投棄への誘惑が生まれる。タイ、マレーシアおよび中国は現在、旧式の変圧器の交換時期を迎えており、PCB処理の問題に直面している。
東アジアのある国では、依然としてPCBが生産されているという報告もある。PCBの水生環境に対する影響についてより詳細に解明する必要があるが、そのためにはさらに情報が必要である。PBCの生産は1985年に禁止されているにもかかわらず、海水中のPCB蓄積量は増大していることが国連大学の研究により判明している。このことは、PCBによる環境破壊活動の影響がどれだけ長く続きうるかを如実に示している。
農薬
国連大学の研究では、環境に極めて有害と考えられていた稲作用の農薬について、研究成果がまとまりつつある。研究によれば、農薬・殺虫剤使用に関する適切な政策が実施されれば、農薬はもはや東アジアではさほど大きな問題にならないと見られる。例えば、インドネシアは57種類の殺虫剤の使用を禁止したうえ、統合害虫管理(IPM)方式を導入した。その後、米の収量は1987年から1991年にかけて15%増大する一方で、農薬の使用量は65%減らすことにより、年間で1億2,000万ドルが節約された。
皮肉なことに、開発と富は農薬の使用を増大させることがある。農民は農薬を購入、使用する上で、何よりも農薬業者からの情報に耳を傾けがちである。ここには、化学薬品メーカーが農薬の削減を望まないのに対し、政府とNGOはこの問題にさらに警戒心を高めなければならないという、明らかな利害の不一致がある。教育の問題も絡んでくる。開発途上国の農民はラベルを読めないことが多く、防護機材を購入する金銭的余裕もない。
上水
東アジア地域では、水処理施設で旧式の技術が用いられているため、一般的に上水の質は低い。これはすべての国に当てはまるわけではなく、例えば、マレーシアの水源はきれいであると考えられる。しかし、タイでは、古い水道管の使用等水道インフラの不備により、大都市向けの水道水に有害化学物質が混入している形跡も見られる。ベトナムでは、河川への工業廃水の投棄が大問題となり、適切な技術移転の問題がクローズアップされている。水処理は中国でも問題となっている。日本のような完全な近代化社会でも、水源は都市排水と混ざり合うことによって汚染されているケースがあり、引き続き都市計画上の課題となっている。
国連大学の研究から得られたデータは最終的に、国連大学のデータベースに登録される予定である。関心のある方々は、ウェブサイトwww.geic.or.jpまで。
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重油流出事故
小林洋子
国連大学本部ビル1階にある地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)のホームページでは、七つの海の隅々から届いた環境問題の資料を閲覧できる。その名が示すとおり、GEICの関心は地球全体に広がる。GEICは1996年秋に、国連大学と日本の環境庁が共同で設立したが、そのほんの数ヵ月後、GEICのノウハウはまさにお膝元で「試運転」を強いられることになる。1997年1月、凍てつく日本海で沈没したロシアのタンカーに積まれていた12万バレルの重油の多くが流出し、海流に乗って日本の沿岸へと漂着したのである。現場の海洋生態系には深刻な被害が生じた。
漁民、地元の自治体、自衛隊、国の機関、企業など、多くの団体が対策に乗り出した。油まみれで苦しむ鳥たちの映像に触発され、多くのボランティアも現場に駆けつけた。しかし責任の所在は明らかでなかった。回収作業についても問題が生じた。引き続いて行われた回収作業には、延べ26万人のボランティアが参加したが、厳寒の中での作業により、5人のボランティアが命を失った。
GEICは、この重油流出事故に関わった各種団体の意見調査を行った。その結果GEICの重大関心事項である環境災害対策について、多くの教訓を得た。GEICは特に、事故に関する情報がどのように流れ、利用されたかに注意を払った。そして、重油流出事故とその顛末に関する小林洋子氏の報告にあるとおり、その数ヵ月後にGEICの目と鼻の先である東京湾で再びタンカーが座礁し、原油が流出した際には、GEICは災害対策改善に関する前回の事故の教訓を大いに役立てた。小林氏はGEICの職員である。――編集部
1997年1月2日2時51分、海上保安庁第8管区海上保安本部は、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」(1970年建造、載貨重量19,684トン、乗組員32名)が隠岐島沖の日本海で沈没し、積荷のC重油が漏出しているとの通報を受けた。タンカーは12万バレル程度の重油を運んでいたが、そのうちほぼ4万バレル(6,000キロリットル)が海中に流れ出た。この事故は、日本で史上最大規模の海洋汚染をもたらし、沿岸部の海洋生物に大きな被害が出た。
ナホトカ号の重油と船首部分は、折からの強い北西の季節風にあおられて漂流した。1月7日、船首部分は福井県三国町の海岸から約350メートルの岩礁に乗り上げた。流出した重油は1月8日、石川県の海岸に漂着した。最終的に、流出した重油による汚染は9府県の海岸に広がり、海洋生態系に深刻な被害を与えた。
1月6日、政府は、ナホトカ号事故対策のために設置された関係省庁連絡会議の第1回会合を開いた。その2日後、連絡会議は事故対策本部を設置した。対策本部は、現地への自衛隊の追加派遣、回収した重油の処理方法に関する指示とともに、健康管理のための方針を発表した。
これに続いて行われた回収作業には、海上保安庁、自衛隊、地元の自治体、漁連・漁協、その他関連する当局、被害地域の住民、ならびに、日本全国の企業やボランティアが参加した。重油の海岸への漂着を防ぐため、海上保安庁等はオイル・フェンスを張ったが、悪天候と在庫不足により、効果は上がらなかった。海上保安庁は、地元の漁民および自衛隊員と協力し、漂流油の回収を行った。
ボランティアも現場に急行
ボランティアの参加は、延べ26万人に及んだ。新聞やテレビは手作業による回収作業を報道した。被害を受けた海浜地域にはボランティア・センターが設置されたが、そこには全国からの問合せが殺到した。現地までの無料の航空券やバス乗車券も支給された。ボランティア・センターが開設したホームページは、参加希望者の主たる情報源となった。しかし、日本ではまだインターネットが広く普及していなかったため、東京のいくつかの市民団体は、FAXによる情報提供サービスを行った。
油まみれになった鳥の救助と、重油流出の野鳥に対する影響調査にも、多くの市民団体やボランティアが参加した。稀少種を含め、被害を受けた約1,300羽の救護や被害鳥調査が行なわれた。救助された鳥は、治療後、北海道等で放たれた。こうした作業に参加したボランティアは、延べ800人に及んだ。
この重油流出事故は経済・社会活動にも広く影響を及ぼした。回収のコストだけでなく、漁場の汚染、操業の中断、水産資源の被害など、地域漁業への被害が発生した。観光業にも影響が出た。
住民、漁民、ボランティアおよび自衛隊等の連携により、ほとんどの重油は海岸線から除去されたが、これは大変な作業であった。回収された重油(海水および砂を含む)はおよそ56,000キロリットルに上ったが、これは実際の重油流出量の9倍以上に当たる。生態系の完全な回復には数年間を要すると予想される。当時、現地調査した日本と米国のある化学専門家は、日光と波浪によって重油は1年ないし2年で分解されるだろうと述べた。
GEICによる問題調査
開設間もないGEIC(事故から3ヵ月前に設立)は、この事故に関する調査を行った。回収作業に携わったさまざまな市民団体とともに行われたこの調査は、何が起こったのか、そして、今後の災害対策を改善するためには何が必要かを明らかにすることを目的とした。
その結果、この事故における災害対策の多くの欠陥が浮かび上がった。
- ナホトカ号は、老朽化の末に沈没した可能性が高い。国際海事機関(IMO)の安全基準によれば、建造後25年以上経過した載貨重量3万トン以上のタンカーは、船体を二重にすることを義務づけられている。ナホトカ号は建造後27年を経過していたが、載貨重量の要件に満たなかった(19,684トン)ため、この基準の適用対象とはならなかった。亀裂が生じたのは、4年前にシンガポールで修理した部分であった。
- 流出油は6日間かけて海岸に漂着した。海水温度が極めて低かったため、本来であれば、この重油は固まり、回収作業もしやすかったはずである。重油が固まらなかったのは、積載の際に凍結防止剤が添加されていたためであったが、回収作業に関わる人々はこの事実を知らされておらず、緊急対応の遅れが指摘された。積荷をチェックし、関係者に知らせるシステムがなかったのである。また、重油の漂流状況をモニターするシステムもなかった。
- 流出した重油は、大量の砂と混ざった形で回収された。化学専門家の中には、回収量が多すぎることを指摘する向きもあったが、どれだけの重油を回収すべきか、また、どれだけを自然分解に任せられるかについては、ガイドラインが設けられていなかった。海岸生態系に関する基礎データとともに、回収作業に関するその他の情報も不足していた。
- 悲しいことに、5人のボランティアが回収作業中に命を失った。厳冬期の作業時間制限など、ボランティアのための健康管理ガイドラインを整備する必要がある。回収作業管理に関する指導者育成の必要性も明らかになった。
- 情報の提供にも問題があり、政府、地元の漁民、ボランティアなど、多種多様なアクターが災害への対応を行った。手作業での回収作業は、新聞やテレビで広く報道された。しかし、ボランティアが急行した三国町の海岸に報道が集中したため、その他の被災地への注意がおろそかになった。風評被害もあった。カニや沖合いの魚は重油流出の影響を受けなかったにもかかわらず、これらの海産物が汚染されているとの噂が広がったのである。日本海全体が汚染されたという印象を与えるような報道もあったといわれている。
概して、ボランティアの活動は極めて効果的だった。しかし、どこで、どのようなスキルが必要かをもっとよく伝えられれば、効果はさらに上がっただろう。ボランティアの活動改善のためには、情報伝達の整備が必要である。
以上の調査に基づき、環境災害対策の改善に関する提案が作成された。災害への迅速な対応のためには、責任の所在を明らかにする新たなシステムが必要である。このシステムは、さまざまな関連機関の作業を統括する能力を有し、かつ、油流出対策を命令する権限を与えられた最高意志決定者を長とすべきである。 \
しかし、状況の変化と災害の規模に応じ、指令機能を地元の市町村に委譲することも考えなければならない。その点において、東京大学の国際災害軽減工学研究センターの人材ネットワークシステムは、たいへん参考になる。
環境災害情報ネットワークを設置すべきである。このネットワークは、専門家、中央および地方政府の担当官、市民団体、環境災害対策技術を持つ企業など、キー・パーソンを結び付けるものとすべきである。
災害対策を支援するセンターを設立し、情報の収集と、これを必要とする市民および組織への提供を支援すべきである。平時において、このセンターは、海洋生態系に関するデータと、重油流出による海洋汚染に関するデータを収集できよう。また、ボランティアの訓練も可能であろう。さまざまなボランティア活動の調整者と、野生生物の救護作業要員という、2種類のボランティアを養成する必要もある。
東京湾での重油流出
その数ヵ月後の1997年7月2日、パナマ船籍のタンカー「ダイヤモンドグレース号」が東京湾で座礁し、約1万バレル(約1,500キロリットル)の原油が流出した際、GEICはナホトカ号事故の教訓を実際に生かすことができた。原油流出から6時間以内に、GEICで関係者による会合が開かれ、どのような対応が必要かが決定された。流出事故の翌日の7月3日、GEICはFAXによるニュースレター「InfoNet」の号外を出し、今回の事故でボランティアは必要でないことを伝えた。原油にまみれた海鳥を発見した場合にはどうすべきかについても、情報が提供された。ボランティアが必要になる場合に備えたシステムが暫定的に立ち上げられ、一般的な問合せへの対応も行われた。
GEICは現在、「日本環境災害情報センター(JEDIC)」設立の準備活動に参加しているが、このセンターは、環境災害へのリアルタイムの対応を行う市民団体を目指している。
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