Work in Progress
 プログラム活動の現場からVolume 15, Number 1
1998年7月
Public Affairs Section
国連大学

サイバーグロース:
持続可能な開発への道筋か

 1980年代半ばに「サイバースペース」という言葉を最初に使った若いSF作家は、サイバースペースを「空想上の空間、データの集合や配列の中を動く光の線、あるいは何百万という相互に接続されたコンピューターシステムや対話式テレビをはじめとする、知識伝達のためのさまざまなシステムによる、想像もできない複雑な場」と説明した。現代を織りなす不可思議な世界の中で、この独創的な説明は、ますます重要な意味を持つようになっている。

 サイバースペース、すなわちコンピューターと通信分野における技術の進歩が、私たちのコミュニケーション能力を大幅に増進したことは多言を要しない。今日、数百万というコンピューターがインターネットによって接続された通信網は、世界の果ての小さな村にまで及ぶようになった。広大なサイバースペースの中で、私たちの社会はますます「地球的な共同体」になりつつあるといってよいだろう。

 これはまだ、人間社会の大規模な変化の、ほんの手始めといってよいだろう。進むべき道が明確になるには、あまりにも情報が氾濫しすぎている。その意味で、メキシコの小説家、カルロス・フエンテスが、「情報をいかに体系化された知識に転換できるかどうかは、現代文明に課せられた最大の課題である」と指摘するのも、実はきわめて当然なことといってよいのかもしれない。

 オンラインによる新しい通信技術は、農場や工場における、昔ながらの単調な仕事から人々を解放した。しかしその一方で、これらの技術を理解し、管理する技術を持つ人々の手に、富と力とが集中するようになった。ここに、社会の崩壊につながりかねない大きな危険性が潜んでいる。これを防止するためには、さらに平等で平和な地球市民社会の構築をめざして、すべての人が「情報スーパーハイウェイ」を利用することができる環境づくりが必要である。

 しかし、現在はそうした状況からはほど遠いといってよい。世界の多くの人々は依然として貧しく、あるいは主要な通信の場からあまりに離れている。彼らは、サイバースペースがもたらす恩恵を享受するに至っていない。コンピューターや高速通信へのアクセスを持たないこれらの人々は、常に取り残される危険にさらされた、新たな「持たざるもの」、「知らざるもの」といってよい。

 だがここ数十年で、新しい知識の伝達手段は大きな進歩を遂げた。とりわけこの20年間に、コンピューター、電話、テレビのグローバルネットワークは、その情報伝達能力を百万倍以上にも高めた。また、多くの開発途上国においても、携帯電話にモデムを接続しさえすれば、情報化時代に後れを取っていた主因である、時代遅れで効率の悪い国営電話システムから一気に脱却することさえ可能になった。

 こうしたことを見ると、サイバースペースとそれが人間の運命に及ぼす影響については、さまざまな方面から研究することが可能であることがよくわかる。Work in Progress本号では、新しい情報技術が持続可能な開発のためになし得ること、すなわち私たちが「サイバーグロース」と呼ぶトレンドについて考察を加えていきたい。サイバーグロースにまつわる“光と影”をめぐり、科学者、教育者、その他の専門家が、世界に広がる国際連合大学のネットワークを通じて活発な論議を展開するさまをご覧に入れたいと思う。

 ここ20年、パーソナルコンピューターの登場によって新しい知識の処理方法は大きく変貌した。この間、国連大学では情報および情報を利用(あるいは乱用)する人間の能力に常に関心を寄せてきた。

 10年にわたり国連大学学長を務めたエイトール・グルグリーノ・デソウザ教授の後を受けて、1997年9月1日に第4代学長に就任したハンス・ファン・ヒンケル教授は、人文地理学者として、またオランダのユトレヒト大学学長として、コンピューター時代のさまざまな課題に深く精通するとともに、数多くの論文を発表してきた。

 そうした点は、グルグリーノ・デソウザ前学長も同様といってよい。本号では、新旧両学長の知見を紹介する。ファン・ヒンケル学長は、新しい知識の集中が高等教育に及ぼす影響について考察している。一方、前学長は、その講演からの抜粋のなかで、新情報化時代のさまざまな課題とその可能性について鋭い考察を加えている。

 また、英国・サウサンプトン大学のノーマン・ロングワース教授は、コンピューターと教育の相互作用を深く検討したうえで、世界においてますます需要の拡大が予想される環境教育においてコンピューターがどのような役割を果たすかを検証する。教育者としても名高い同教授は、本拠地である大学の地球データ学科での、環境学習におけるコンピュータープログラムの活用についてその卓見を述べている。この学科は、生態環境の複雑さをコンピューターによって視覚化した、その革新性と独創性とで広く知られている。

 表面的にはサイバースペースは、通信技術がもたらした直接的な関係によって、開発戦略家が求める、いわゆる平等な経済競争の条件にもっとも近いものを実現しているかのように思われる。しかし、国際経済システムの作用、とりわけ技術の選択の幅の変化によって、開発戦略家は数々の困難な障害に直面しているのも事実である。彼らは、技術投資による生産性の向上を競い合うことが依然、目標であるかのような思い違いをしている。

 そうしたことを踏まえ、経済と技術の関係について4つの視点から検討する。まず、ブラジルの情報科学者であるパウロ・ロドリゲス・ペレイラ氏は、今後ますます必要性が高まるコンピューター技能を求めて産業が自国に戻ろうとすると、これまでのような安価な労働力を基盤とした「アウトソーシング」は短期的な現象にとどまる可能性があると指摘する。また、オランダ・マーストリヒトにある国連大学新技術研究所(UNU/INTECH)からの報告の中で、エドワード・スタインミューラー、マリア・イネス・バストス両氏は、新しい情報技術に対処するための産業再編にまつわる問題点を検証する。両氏は、既存の産業ネットワークによって職場の改革が阻害されることが何よりも大きな問題であるという。

 新情報化時代のもっともやっかいな問題のひとつは、いかに正しいツールを適切な時に使用できるかということである。いまやコンピューターの性能の向上は日進月歩である。しかし、「間違った選択は悲惨な結果を生む」と、ジュネーブの国際労働機関(ILO)で技術雇用部長を務める、インド出身の経済学者、アジット・バーラ氏は強調する。彼は、最新のコンピューティングが寄せ集められた世界においては、技術オプションの幅を広げることが何より重要だと論じている。

 一方、「情報のオプションが多すぎると、第三世界の膨張する巨大都市においては選択はとりわけリスクを伴うものとなる」と主張するのは、人口、都市化、開発に関する国連大学プロジェクトのコーディネーターであるロンドン・ユニバーシティカレッジの地理学者、アラン・ギルバート教授である。同教授は、新しい通信技術によって進展するグローバリゼーションのプロセスは、新たな富をもたらす一方で、突然、それを奪い去ってゆくこともあると指摘する。コンピューター、ビデオ、およびラップトップは、大きな期待を生むと同時に、不確実性をも高めるというのが彼の論点である。

 さらにWork in Progress本号では、以上のように、第三世界においてコンピューター革命の土壌となるべき社会経済情勢を多文化的観点から検討したうえで、サイバーグロースの促進をめざす計画立案者を支援するために、すでに国連大学が取り組んでいる具体的な施策をいくつか検証する。

 現在、開発途上国が緊急に必要としているのは、たとえば列車や航空機の正確な運行に必要な、途上国の問題に直接対処するソフトウエアといって間違いない。国連大学では、国連大学の研究・研修センターである、マカオの国際ソフトウエア技術研究所(UNU/IIST)がその対策にあたっている。そのUNU/IISTのメンバー2人が、中国の鉄道およびベトナムの定期航空路線の時刻表の改良をはじめ、同センターの手法および実際に取り組んでいるいくつかの問題を紹介する。

 急成長を遂げる情報技術の世界では、数秒ごとにインターネット上に新しいホームページがつくられている。東京の国連大学でもいくつかのホームページを開設しているが、その中の一つに、環境データに関する国連大学の窓口である地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)のホームページがある。国連大学本部の環境スペシャリストであるグレン・パオレット氏が、国連の持続可能な開発活動の詳細な行動計画である「アジェンダ21」の要請に応えたホームページ(http://www.geic.or.jp)の内容を紹介する。

 国連大学にはもうひとつのコンピューターネットワークとして「PlasmaNet」がある。これは、技術的に多大の期待が寄せられている固体、液体、気体を超えた物質の状態であるプラズマの研究に従事する学者、とりわけ第三世界の科学者にその最先端の情報を提供するものである。PlasmaNetの立ち上げに尽力した筑波大学物理学系の河辺隆也教授は、まだ一般にあまり知られていないプラズマ科学について解説するとともに、世界中の科学者がこの分野でどのような研究を進めているかについて述べている。この新しいネットワークは、国連大学憲章の冒頭にある「学者・研究者の国際的共同体」という言葉を具現化するものであり、サイバースペースの隅々にまで新たな知識を求める人たちにとって格好のフォーラムとなることは間違いない。


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知識のボーダーレス化
ハンス・ファン・ヒンケル(国連大学学長)

 ハンス・ファン・ヒンケル教授は、1960年代初頭にオランダ・ユトレヒト大学の大学院生として、マラヤ(マレーシア)で中国人のすず鉱業のルーツを研究して以来、一貫して技術と社会の相互作用に関心を払ってきた。大学で人文地理や歴史を専攻したファン・ヒンケル博士はまた、科学政策と、その社会への影響に強い関心を持っている。1986年にユトレヒト大学の学長に就任して以来、博士はヨーロッパの高等教育に関するさまざまな協力活動、特にその活動の持続的発展に深く関わっている。その後、国連大学理事の任務を経て、1997年9月1日に国連大学の第4代学長に就任。「知識集約の時代」と呼ばれる現代にあって、「情報革命に対する高等教育の対応」という命題についての博士の見解はまことに時宜を得ているといってよいだろう。以下は、1994年にロンドンで行われた「2050年の大学・・創造性と刷新の組織」と題する博士の講演からの抜粋である。――編集部

 私たちの時代を特徴づける主要な変化のひとつ、それは主に社会、そして学問における知識量が飛躍的に増大したことである。これは、学問を促進し、次世代に伝える際に活用される技術の進歩――コンピューター化、電気通信技術、そして情報革命を構成するその他の要素――と深い関係がある。まさに、近代的な技術の進歩が知識の質を高めているといっても過言ではない。コンピューターは、科学者が一生かかってもできない計算を数分で実行することができる。そうした現代の知識集約をもっともよく体現しているのは証券取引の世界だろう。東京、ロンドン、ニューヨーク、あるいはバンコクなど、どこにいようと、証券トレーダーは正面にあるコンピューター画面に刻々と更新される情報を見ながら、同時に多数の電話を使うことにより、瞬時のうちに世界中のどの地域とも取引を行うことができる。

 その点、大学はまだそのレベルには達していないようだ。しかし、科学と学問の分野が世界レベルで電気通信の利便を享受していることは明らかである。パーソナルコンピューター、電子メール、テレビ、そしてファックスのおかげで、地球上の距離は大きく縮まった。数世紀前、ロンドンから例えばベニスまでという距離でさえ数週間もかけて伝えられたメッセージは、現在、その数倍の距離をわずか数秒で届けられる。同時に、伝えられる情報の量も飛躍的に増加した。

 知識集約の傾向は、ひとつの重要な近代的プロセスとともに進展する。それが、いわゆる「アクセラレーション(加速)」あるいは「アップスケーリング(増大)」というものである。それらは加速度的に社会を変化させ、また新しいライフスタイルや新しい期待をもたらす。多くの要素により、社会はほんの数十年前の3倍、あるいは4倍の速さで変化している。以前に増して文化、政治、そして地理的な境界が簡単に越えられるものとなってくると、ある部分においては、人間の努力のあらゆる部分が互いに結びつくようになる。科学の世界ではこうした現象を「オートキャタリティック(自触媒的)」と呼ぶ。つまり、プロセス自体が促進作用を起こすため、増加率が加速される。

 これまで一貫してフロンティアを切り開いてきたのは、指導的な学者たちである。それは、人間の知識と能力の限界を広げるという意味ばかりではない。政治的あるいは地理的な境界を超える橋渡しを果たしたという意味でもある。政治、文化、そして経済活動が全体として「アップスケーリング」しながら地球規模のレベルで組み合わせられる過程のなかで、大学や研究機関は、これまで以上に広い活動範囲でさらに協力を押し進めている。研究のための突出したコストもまた、この傾向を押しとどめる要因とはなっていない。

 私たちの経験と見通しが適切に組み合わせされれば、このグローバリゼーションのプロセスはよりいっそう強化されるに違いない。コミュニケーションの機会は、驚くほどのスピードで拡大している。異なる文化圏の人と話す場合、電話で話すよりも面と向かって話すことを好む人は依然として多い。しかし、証券トレーダーははるか以前からそうした執着を捨てているし、多くの学者もまたなんの面識もない世界中の学者と日々接触している。電子メールのおかげで、同じ建物にいて髪の色も知っているが研究テーマを知らない学者よりも、遠くオーストラリアやベネズエラにいる、研究テーマが同じ学者のほうが、より身近な存在に感ずる。そんな時代なのである。


多様性のなかの統一性

 私にとっての「グローバリゼーション」とは、必然的に社会および文化のより高度な統一性を意味する。しかしこれは、200年前にヨーロッパ全体に同じ法律、同じ直線道路をつくろうとしたナポレオンが求めた統一性とは根本的に異なる。私のいう統一性とは、相互補完の原則を基盤とした多様性のなかの統一性であり、またそうあるべきだと考えている。こうしたグローバル化はむろん大学にも当てはまるだろう。大学は、その起源を見てもわかるように、伝統的に多様性を内在している。しかし、近代的なプロセスの中での大学は、ますます相互に結び付けられるものであると同時に、互いに独立したアイデンティティーを保ち続けるべきだと私は考えている。グローバル化の傾向がますます強まる学問の世界に身を置くものは、同時にそれぞれの国や地域社会にできるかぎり貢献しようとする人間でなければならない。

 技術的にリンクされた現代世界でこれまで以上に重要なのは、それぞれが属するネットワークである。ネットワークこそ、大学の魅力と国際社会における大学の役割に直接関係しているといっても過言ではない。これからは国際的なネットワークが大学の基礎を形づくるようになるだろう。

 しかし私は、すでにイギリスやアメリカに設立されている研究所を見ても明らかなように、近い将来、より多くの大学が海外に研究所を設立するようになるだろうと考えている。そのとき大学は、あらゆる意味で国際的なビジネスになるだろう。そうした過程のなかで、今ある多くの大学が厳しい競争にさらされると主張する人もいるが、それは陳腐な意見というものである。古くはボローニャに遡るヨーロッパの大学、あるいは中国、アラブ世界の僧院やモスクが学芸の中心であったように、そこに知識が生きつづけるかぎり、大学はいかなる時にも発展する実在物であり続けるだろう。


知識そのものに対する影響

 ますます進展する社会および科学の知識集約度が、知識それ自体に非常に大きな影響を与えるということは多言を要しない。ひとつは、知識の量が飛躍的に増加する。ある試算によれば、知識量は5年ごとに倍増するといわれている。同時に、知識の有効性の存続期間は急速に短くなるだろう。最近の研究では、1975年の特許公報に引用されたアメリカの出版物の寿命は平均8年であったが、10年後には6年半になっていたことなどもその現れである。

 こうした知識の集約が教育の全般的な概念を変化させ、ひいては大学に決定的な影響を及ぼすだろう。ますます高まる生涯学習の重要性も大きく作用するといってよいと思う。

 すでに私たちは、労働集約的、資本集約的な経済から、知識集約的な経済への移行を実現しようとしている。その結果、学問の世界が社会に対して徐々に強い影響力を持つようになっている。オランダ政府がある報告書に記した次のような一節も、社会に対する学問の世界の重要性を強調したものといってよい。

 「今日、一連の重大な発見が波のように押し寄せるのを我々は目の当たりにしている。それを第一次産業革命と比較する人がいるほど、そうした波は私たちにとって重要な意味を持っている」

 こうした考えは、EUの政策決定さえも方向付けるようになっている。しかしなんといっても、文明に対する学問の影響は、文明に対する技術の影響のなかにもっとも如実に現れている。1990年に発表された『ヨーロッパにおける熟練の不足』と題する欧州委員会産業研究開発諮問委員(IRDAC)による報告書は、そうした経緯を詳細に分析している。多くの作家もまた、このことを強調している。アメリカでは、クリントン政権が国家情報機構の開発を促進しようと努めている。学問の強化が、一部の地域のアカデミックプロセスのすべての段階に広まろうとしている。


テクノロジーの力

 科学および学問の知識を強化すれば、それだけ知識を普及し、開発する技術の能力もまた高まる。ここで私はアシモフ型の理論に与するわけではないが、今後50年間に人工知能の分野で予測もつかないような進展があるだろうという意見は、私にとってそれほど唐突ではない。学問と社会の双方に対するテクノロジーの影響力を決して過小評価すべきではない。そのとき、知能というものの実体をいかにすばやく、適切に理解できるかという問題が重要になってくる。しかし、ここではこの古典的、哲学的な論争に熱中するのはやめにして、いくつかの一般的な指摘を行うにとどめよう。

 第一に、未来というものはある特定の瞬間に始まるのではないことを私たちは改めて確認すべきだと思う。つねにプロセスがあり、発展がある。刻々と技術の進歩する現代社会について考えてみよう。最初のパーソナルコンピューターが市場に登場したのはわずか1970年代後半のことで、何万年という人類の歴史のなかでは瞬きほどの時間でしかない。しかし、現在の私たちは、パーソナルコンピューターなしではもはや生きてゆくことができない。コンピューターが突然違法なものとなったならば、文明は1日にして崩壊してしまうだろう。

 第二に、いわゆる「考える機械」を考えてみよう。かつてマサチューセッツ工科大学のレイモンド・カーズウェイル教授は、『インテリジェントマシーン』と題する実に優れた本を著した。この本の中でカーズウェイル教授は、多くの予言を記している。彼は、21世紀には「知的応答機能によって応対する電話」と「耳の不自由な人のために音声をビジュアル化する音声・テキスト転換機」の登場を予測している。

 また、教師の未来に関するカーズウェイル教授のビジョンは、なかなかに興味深い。それは「コンピューターが教育環境を支配し、また教育課程ソフトが概念モデルに則って学生の誤りを指摘し、それらを訂正するだけの知能を持つだろう」という予測である。カーズウェイル教授はまた、かなり先の話になるが(おそらく2020年から2070年の間に)、真のインテリジェントマシーンが登場するだろうと予想している。技術専門用語でいえば、それこそ「チューリング・テスト」*をクリアし、文字どおり人間の知能の水準に達する機械となるだろう。

 したがって、“考える機械”はもはや想像の世界の絵空事ではなくなっている。事実、その一部はすでに私たちの周りに現れている。スーパーコンピューターは天体を走査・分析し、医学研究はもはやコンピューターを多用したハイテク装置なしに考えられない。対話式ビデオディスクおよびその他の教育ツールもまた、急速に進歩している。

 人工知能は、まさにバーチャルリアリティ(仮想現実)のように現実なものとなっている。多数の研究を独立して行うだけではなく、その結果なすべきことを瞬時に決定し、知識の収集と伝播の双方を行うというような人工知能が、ここ数年のうちに登場したとしても、おそらく私は驚かないだろう。事実、その可能性は十分にあると思う。

 究極的には、大学の将来においてもっとも重要な要因は知識の流れである。それがまた、知識を発展させ、知識を組み合わせる原動力となる。言葉を換えれば、自己発展型知識システムといってもよいだろう。マサチューセッツ工科大学のパトリック・ウィンストン教授が、覚え込ませた以上のものを機械から得ることは不可能だと宣言したのはすでに10年以上も前のことである。この考えがもはや通用しなくなっているのはだれの目にも明らかである。

 自己発展型の知識システムの登場は、多少なりとも人間に恐怖心を抱かせるかもしれない。また、私はここでは生物学的考察を一切行っていない。しかしこれは、人間が機械に凌駕されるかどうかというような単純な問題ではない。私の考えでは、人間の知識と洞察力は、間違いなく今後数十年の間にさらに発展するだろう。つまり、人間と機械を勝者と敗者とに分けて考える必要はないのである。それはともかく、これからは知識の流れを方向づけ、熟達することに重きが置かれるようになるだろう。これには、今ここで述べた「知識エンジニアリング」よりもはるかに複雑な技術が必要となってくる。

 知識は、人類にとって究極的にはもっとも重要な原材料であり、しかも持続的に増やすことが可能な唯一の存在である。人間が自然に付加し得る、もっとも重要なものといってよいだろう。デカルトの言葉を引用すれば、「我思う。故に我あり」なのである。

*訳注:チューリング・テスト
 コンピューターが果たして知能を持ったといえるかどうかの判定基準となるテスト。コンピューターの理論的枠組みを与えたことで有名なチューリングが提唱したのでこの名前がついた。ある人が壁の向こうにいるコンピューターもしくは人間にキーボードを介して質問する。その人は、ディスプレーに現れる応答を通じて、相手をしているのがコンピューターか人間かを判断する。コンピューターの応答が巧みでコンピューターか人間かを判断できないくらいになれば、それはコンピューターが人間なみに知能をもっていると判定してよい、とチューリングは考えた。


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環境教育のネットワーキング
ノーマン・ロングワース

  コンピューターと環境教育との“出会い”は、人類が抱える「持続可能な開発」という問題にとってもっとも有益なものといってよいだろう。エコロジーの相互作用が持つ多くの側面を鮮やかに視覚化する能力をコンピューターが持っていることはすでに多くの人が知っている。消費者の行動を大幅に変えることが可能かどうかは、結局のところそれは教育にかかっているといっても過言ではない。

 環境に対する懸念がますます高まっている今日、環境教育の必要性は世界規模で増大している。環境教育を普及させるうえで、柔軟で革新的な教育手段としての情報技術の利用がきわめて重要であることは多言を要しない。情報技術はまた、現在行われている環境教育におけるさまざまな努力をよりいっそう密接に統合するのうえで即効的な役割を果たしている。一例を挙げれば、ヨーロッパの学界で共同で環境教育に取り組むプログラムが進められているが、これは国連大学の新学長、ハンス・ファン・ヒンケル博士がユトレヒト大学の学長時代に特に積極的に取り組んできたテーマである。

 さて、以下の論文の中で、イギリスのサウサンプトン大学のノーマン・ロングワース教授は、目下懸案となっているいくつかの問題を考察している。同教授は、環境教育におけるコンピュータープログラムの革新的な利用で有名なサウサンプトン大学の「ジオデータユニット」の中心的なメンバーである。本稿は、国際大学協会の機関誌『Higher Education Policy』のために書かれた同教授の論文からの抜粋である。――編集部

 よりよい地球環境を維持していくために、私たちは、効果的な教育プログラム等を通じて、環境科学についての認識を普及させていくことが不可欠だと考えている。問題は差し迫っており、それだけに産業界や社会を現に支えている“大人”たちはもとより、次世代を担う学生にもそうした教育を早急に実施する必要があると私たちは考えている。

 情報技術はすでに、環境問題のモニタリング、管理、デジタル化、記録、分析、伝達、統合といった分野で非常にめざましい役割を果たしている。加えて、情報技術が教育の開発と普及に重要な役割を果たしていることは以前から知られている。そうした役割がそっくりあてはまるとはいえないが、1990年代の環境教育の新たなニーズに応えるために、情報技術を活用した、非常に現実的かつ刺激的な方法をいまこそ探すことが必要だといってよいだろう。

 いま環境教育における情報技術の利用が重要なのは、以下に示すような背景があるからだ。

 情報技術の利用を促進していくうえで大学の果たす役割は大きい。大学は、これを実現する設備と専門知識、そして人々が自分たちの環境の保護活動に参加するのを促すネットワークを備えている。


ネットワーキング・・アイデアの力

 大学にとって重要な分野のひとつがネットワーキングである。それは、決して目新しいものではない。人々がつくるネットワークは、何世紀にもわたって、同じ意見、同じ仕事、あるいは同じ目的を持った人々の間に存在してきた。これらはまさしく、共通の懸念事項を肯定的に解決していこうとする、人類普遍の「アイデアの力」を示しているといってよいだろう。

 メッセージ、概念、反応、情報、そして意見を簡単に素早く、しかも費用をかけずにやりとりできる電子技術は、ネットワーク能力を飛躍的に増大させた。確かに電子的なネットワークは、教育全体に画期的な変化をもたらし、また学習意欲を確実に刺激するということもすでに証明されている。電子的なネットワークを通じて、あらゆるレベルで環境教育を奨励することができるのだ。そうした観点に立って、以下に示す可能性を検討してみよう。

  1. 環境問題を研究している科学者のネットワーク
     もちろん、すでに独自の科学ネットワークを通じて、互いにコンタクトを取っている研究者も多い。教育のネットワークに彼らの知識が適切に取り入れられれば、教育、学習、そして教材開発の非常に貴重な資源となることは間違いない。このようなネットワークの利用はまた、該博な知識を持つ科学者の、教育および学習プロセスへの直接参加を促すだろう。

  2. 世界中の教育およびカリキュラム開発者のネットワーク
     たとえば、ある地域のニーズを評価する同種のセンターがあれば、教育課程および教材の共同開発や研究における効率は大幅に向上するに違いない。また、教育課程モジュールの配布、新しい課程に関する提案、ニーズの評価といった側面において、電子的な技術が大いに力を発揮するだろう。

  3. 大学の教員訓練機関のネットワーク
     大学教員の就業前および就業中の訓練、地元での教材の開発および調査、新しい教育課程の作成に必要な情報へのアクセス、さらに異文化研究などを何カ月もかけずに、短時間のうちに実行できるという大きな利点を発揮するだろう。

  4. 学校、大学、および職業訓練機関のネットワーク
     環境データおよび調査情報を共用することには多くの利点があり、加えて、地域単位、国単位、あるいは国際的な規模で環境問題に関するプロジェクトに実際に参加することが容易になるだろう。

データベースへのアクセス

 ネットワークによって、世界中に散在する環境データベースへのアクセスも容易となる(編集部注――UNUの環境情報データベースに関する記事については18・19ページ参照)。純粋に教育的な面でいえば、データベースは、学習における検索テクニックを促す最先端技術のひとつである(現に筆者も新たに習得をしているところである)。環境教育を実施するうえで、データベースが有効であるのは、おそらく3つの側面においてであろう。

1.戦略的教育および学習を促進していくうえでの、アクセス可能な資源として・・・。この中で、学習者はデータを入手することができ、また教師の助けを借りながら、学習者はその情報から正しい科学的推論を導くという課題を負うことになる。こうした訓練は、これまでしばしば学校においても大学においてもおろそかにされてきたといってよいだろう。

2.学習者自身の観察によって、あるいは新たなデータによって、学習者がデータベースを構築する手段を教育し、また学習する戦略を理解することができる。これは、収集段階を越えて蓄積、分析、および普及という情報処理技術を学ぶための絶好の機会となる。

3.次に、(これはかなり実行が難しいことではあるが)データベースを教育ツールとして使いこなすテクニック自体が大切である。まず正しい時に、正しい目的で、的確なデータにアクセスするソフトウエアをマスターしていなければならない。データベースに追加学習ソフトを組み入れることも、難しいが重要である。


新しい教育ツールとしてのハイパーメディア

 ハードおよびソフト面での開発が進むにつれ、教育機材としてのパソコンの使用は、教育現場での新しい可能性を開いてきた。たとえばサウサンプトン大学では、データベースに最新のソフトとしてハイパーメディアを組み入れている。ハイパーメディアとは、コンピューター援用学習(CAL)のプレゼンテーション機能を大幅に改良したものである(CAL自体はあまり広く使われていない)。ハイパーメディアを使うことにより、新しい情報を必要に応じて段階別に表示することができ、文書、音、映像、画像、ビデオなどと組み合わせて多角的に情報を呈示することができる。

 よい例が、サウサンプトン大学で開発された「ウォータープログラム」である。学習者は、水が水源から蛇口に到達するプロセス図を画面で構築するよう求められる。プログラム中、学生はつねに、その日までに完成した図の段階や、デジタル化され識別されたそれぞれの段階の画像、水の純粋度の画像を入手することができ、また課題の理解度を試す事前あるいは事後試験を受けることができる。こうした融通性のある作業は、従来、大型コンピューター以外ではできなかった。

 課題、システム、そしてアイデアの関係を探るうえで、ハイパーメディアが持つ可能性は明らかといってよいだろう。たとえば、ハイパーメディアを活用することにより、学習者がたやすく理解し操作できる方法で、温室効果ガスの増大、オゾン層の破壊、環境汚染などの実態を、画像、図解、テキストなどを駆使することにより、より鮮明に理解することができる。

 現在、多くの主要メーカーが、教育訓練を目的とした自習プログラム作成用の強力なツールを発売している。これらはいずれも、ビデオディスクやその他の外部教育記憶装置と結びつけられたハイパーメディアアプローチの延長で、より広範な教育開発者にアクセスできる平易なプログラミングテクニックとなっている。私たちは、こうした新しいツールの中に、学習に対する新たなアプローチ、いいかえれば柔軟性のある新しいタイプの学習法の未来を見て取ることができる。

 環境教育は、地域単位、国単位、さらには国際レベルの活動によって推進していくことが重要である。まさにグローバルな問題であり、いまそのニーズはますます高まっている。ネットワーク、データベース、ソフトウエア、および公開・遠隔学習システムの利用は、情報技術開発の発展にとって新たな鍵となることは間違いない。教育のために努力し調整することは、貴重で、乏しい資源を有効に活用するうえできわめて重要なのである。

 いまこそ、こうしたニーズを満たすとともに、その製品とサービスを産業、教育、政府、その他各業界を含むより多くの人々に伝達することのできるネットワークが必要だといえる。また、グローバルな可能性を秘め、情報技術の発展を通じて環境問題に対する意識を高めていくという、教育上の課題にこたえる広いビジョンが必要であることはいうまでもない。それはまた、各方面の協力により、高度な教育システムを模索するという努力のなかで達成されるに違いない。


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情報技術の“光と影”
パウロ・ロドリゲス・ペレイラ

 情報技術の進歩がもたらす変化があまりに大きいため、私たちはややもすれば、よりよい生活によって全人類の連帯が強まるという、一種の幻想を抱きがちである。国際的なビジネスの場を見ると、かつては途上国の魅力のひとつであった安価な労働力という点は、情報化時代にはかえってマイナスとなる。かつて電子機器の生産にとって途上国の組立ラインは大いに威力を発揮していたが、電子機器がますます精緻なものとなり、またコストがかかるにつれ、海外での生産は減少の一途を辿っている。一方、投資資金はノウハウがある(あるいはその見返りが見込める)本国にとどまろうとする。先進国の多くの企業は、数千マイルも離れた政情不安な、しかも市場の中心部から離れた国よりも、本国の確実な労働者を使うようになっている。残念ながら途上国には、工場からショールームにいたるまで、作業効率につながるような精緻な情報システムが欠けているのである。

 一方、こうした状況こそ、途上国にとっては、学習の段階を飛び越えて、確立した最新技術を効率よく獲得する絶好の機会となると主張する人もいる。しかし、ブラジルのコンピューター技術開発会社、ディジブラス社のパウロ・ロドリゲス・ペレイラ氏は、こうした見方には懐疑的である。情報革命に完全に参加するために、途上国はいくつもの段階を経て知識と技術を地道に習得しなければならないとペレイラ氏は主張する。以下は、1994年に発行された国連大学の出版物『未踏域への探求:科学、技術と開発』(The Uncertain Quest: Science, Technology, and Development)の中の同氏の論文「新しいテクノロジー――機会それとも脅威」からの抜粋である。――編集部

 「エレクトロニクス、コンピューティング、そして電気通信の収斂」と定義される情報技術は、情報の収集、分類、処理、伝送、そしてその提供において、“革新の波”をもたらした。情報技術は、新しい市場を創出し、新たな投資、所得、そして雇用を生み出し、またそれ自体が非常にダイナミックな成長産業へと“変身”を遂げた。加えて、より効率的な生産プロセスや改良された新製品とサービスを通じて、変化する需要や国際競争に見合った、より迅速で効率的なメカニズムを他の経済セクターにも提供している。

 情報技術がもたらした改善は産業全体に及んでいる。たとえば、機械や電子機械部品が改良され、また新しい機能によって従来の製品はグレードアップし、新しい技術と機能が装置に組み込まれ、単純作業が自動化し、また技術サービス、専門サービス、および金融サービスはいっそう使用しやすくなった。トランジスター、半導体、集積回路などに代表される科学的、技術的革新により、マイクロエレクトロニクスは、現在および将来の雇用や労働者の技術要件、あるいは将来の市場見通しという点においても、さまざまな経済的影響をもたらしている。

 情報技術の導入は、コストのめざましい低下と、電子産業をはじめとするさまざまな技術における劇的な性能の改善を実現した。マイクロチップの機能数が増え続けた結果、次のような多くの利益が実現したことは間違いない。つまり、ひとつのチップが多数の個別部品に取って代わることによる、電子機器の組立コストの低下。より速い切換速度による、より高速で性能の高いコンピューターの登場。あるいは、より少ない相互接続、より少ない電力および資材に裏付けられた、信頼性の高い、小型で軽量な装置の実用化、等々。

 今日、こうした影響を経済のすべてのセクターが被っているといっても過言ではない。情報技術は、規模と範囲の面において経済活動に大きなチャンスをもたらし、また生産性を高め、労働力および整備のより柔軟な活用を可能にした。情報技術はまた、生産および販売の国際化を促進し、資本および金融の流れ、ならびにサービスの機動性と柔軟性を提供し、しばしば革新的な金融手段の出現を促した。

 いま、金融、銀行業務、事業経営、行政における生産性、品質、そして効率を高めるために、絶えず情報システムの開発が行われている。製造業、および農業の一部の分野では、多くの生産プロセスが自動化され、あるいはより柔軟な自動調整機械やロボットさえも登場するに至った。工学技術系の産業においては、コンピューター支援設計やコンピューター3次元化画面表示は大きな改善をもたらした。


新たな相互依存

 将来においても、情報技術における加速度的な技術革新は、すでに進んでいる経済・金融および政治・文化の分野での国際的な相互依存をさらに加速するに違いない。一国の経済が国際レベルで行われる政策決定に影響を受ける、あるいは国内の経済行為が他国の経済政策に影響を与えるといったことは今後、ますます増えてくるだろう。また、同じような製品の需要が地球規模で増大するにつれ、ライフスタイルは国境を越えて単一化しつつある。

 電気通信およびコンピューター化の進展により、最近では大企業の多くが、情報システムを使って広く分散した工場に中央から指示を与え、また地理的に隔たった場所にある数多くのコンピューターシステムに技術および経済情報を伝えるといったことも珍しくない。その結果、労働力、生産および貿易における国際分業に大きな変化が生じた。同時に、産業の所有および支配のパターンが変貌するとともに、各国の競争力が変化し、さらに新しいトレーディングパートナーが登場するようになった。

 これまで分散していた生産機能を統合させるのは情報技術の機能統合能力である。これは単に、新しい技術が古い技術に取って代わるということではない。情報技術は、システムの統合を通じて、まったく新しい作業方法の機会を提供する。生産プロセスにおけるさまざまな段階において現に実行されている生産機能に、単に新たな機能を適用するにとどまらない。新しい技術は、むしろまったく新しい「ループ(循環)」をつくり出す可能性を秘めているのだ。たとえば設計から生産、計画からマーケティング、生産から流通を連鎖させるようなシステムである。その結果、製造設備は、変化する市場動向や注文・委託を敏感に察知・収集し、多様な設計コード、コンピューター支援システムおよびデータベースに迅速に対応できるようになるのである。また、こうした機能はすべて生産プロセスに自動的に取り入れられる。


途上国への影響

 かくして、電子、コンピューター、および電気通信技術におけるめざましい変化は、経済のほとんどすべての分野に新たな技術の選択肢をもたらすこととなった。その結果として開発途上国の社会および経済が受ける影響は注目に値する。その潜在的なインパクトは、肯定的なものにせよ、あるいは否定的なものにせよ、今後、エコノミストや政治家の間で大きな論議の的になるだろう。

 よく議論の話題になる主要な短期的問題といえば、とくに組立工場に関連して、低い労働コストという優位性はいつまで魅力を持ち続けるかということ、あるいは国内市場および国際競争力に対するオートメーションの影響といったことであろう。

 マイクロエレクトロニクス革命によりまず、輸出用の生産拠点が第三世界に移った。大型コンピューターの生産は、引き続き先進工業国で行われているが、価格競争にさらされるパソコン機器類の生産は、低賃金、安定した政情、十分な労働力、政府の優遇策などを“売り物”とする、主として東アジアの国々にシフトした。

 しかし、現在の生産オートメーションは、労働集約的な製造および労働コストの重要性を相対的に低下させ、その結果、安価な労働力を武器とする競争力が浸食され始めている。たとえば、オートメーションにより、アメリカと香港の電子機器の製造コストの差は急激に縮まった。手作業による製造では、米国のコストは香港の3倍であったが、半自動プロセスの導入により事実上、コスト差はなくなった。同様に、日本のオートメーションの拡大が、アジア太平洋地域に対する日本のエレクトロニクス、組立部品、および繊維関連企業の投資を減少させた。

 システムの処理機能アップと統合化の傾向の結果、工業国の大手メーカーによる開発途上国での生産――いわゆる「オフショア生産」――の相当な割合が本国に戻りつつある。こうした動きを私は、「比較優位性の逆転現象」と呼んでいる。  以前は部品の組み立てによって得られた機能が、製品を構成している部品自体に組み込まれるにつれ、付加価値は組立プロセスから各部品そのもの、またサービスに見い出されるようになってきた。さらに、電子装置が技術的にますます複雑になっているという事実が、工業国で製造される製品の価値を高めている。こうして、オフショア組立によって得られる付加価値は、着実に減少し続けている。

 安価な労働力がコストを下げる最大の要因であった時代において、最終的な市場から相当な距離にあっても、著しくコストの安い地域に建設されたグローバル工場は、それなりの経済効果をあげた。しかしいまや、技術と、不安定なローカル市場に対する迅速な応対能力が、競争のためのより重要な要素となっている。機械および装置は現在、陳腐化に適応するようプログラムできる。そうしたさまざまな要因の結果、資本集約的に柔軟な製造に投資が集中し、途上国の競争力をよりいっそう低下させている。

 おそらく、アセンブリーシステムは、特定の部門を対象に国内生産の保護政策を取っている一部の国(たとえばブラジルなど)で今後も続けられるだろう。しかし、こうした状況は、急速に変化するに違いない。こうした環境で生産されるような製品は、主として生産国の国内市場で使用されるにとどまり、国際レベルの競争力は乏しい。なぜなら、このような装置は海外で入手できるものよりはるかに高く、補助装置の高価格や稼働率の低さ、経営技術の欠如などが原因となって、どうしてもコストが高くなる傾向があるからである。しかし、少なくとも情報技術の発展に、より迅速に対応していくことは可能である。

 マイクロエレクトロニクスの導入においては、設計、メンテナンス、および管理面での新しい技術、ならびに補足的なインフラ施設――信頼できる電話システムおよび電力供給など――が不可欠である。これらの不足が、情報技術の途上国における伝播を妨げている。

 より広範な技術とインフラ、そしてより柔軟な労働力を備えている、ある程度発展した途上国は、情報技術を採用し、生産性と国際的な競争力を高めることが可能である。しかし、技術とインフラが不足し、生産性が低く、また資本資源が不足している、貧窮した途上国は、これからは新しい技術を採用することがますます難しくなるだろう。これらの国々は、国際競争にさらされ、先進国と、ある程度発展した途上国の双方の“挟み撃ち”のなかで、いっそうの経済状況の悪化に見舞われるかもしれない。


システム管理と革新――利益獲得のための鍵

 品質に関しても、適切な技術、インフラおよび経営ノウハウが必要であることはいうまでもない。一般的に途上国にはこれらが不足していることが多いが、その結果、システム性能の向上によって企業で実施できる相乗効果、選択肢の数、より迅速な反応、より多くの情報に基づいた意思決定という利点が阻まれることになる。一方、先進工業国の企業内に存在する労働力の統合は、さらにシステム性能を向上させ、オートメーションによる優位性のいっそうの強化につながる。生産に用いられている労働力の割合は、工業国では徐々に低下しており、このことは、製造ではなくシステムの管理および革新の実績が利益、成長、そして生き残りの鍵となることを示唆している。

 バイオテクノロジーと同様、情報技術もまたしばしば独占技術となりやすい。設計エンジニアリング仕様、プロセスのノウハウ、テスト手順その他に関するきわめて重要な情報は、特許または知的所有権で保護され、あるいは工業国のさまざまな電子関連企業の中の“企業秘密”として保護されている。ソフトウエア企業の中には、貴重な情報の漏洩につながることを恐れ、その製品について特許や著作権を申請していないところさえある。企業も一般に、近年の最新技術のライセンスを取得することを好まなくなっている。

 つまり、技術移転は主として、すでに地位のある、あるいは大手のメーカーの間で行われ、途上国によるアクセスは事実上、阻まれているのである。ここで問題となるのは、ある特定の技術へのアクセスではなく、技術そのものの進歩というダイナミックなプロセスへのアクセスが阻まれてしまうことである。最近の企業同士の傾向を見てみると、このアクセスは基本的に、技術を所有している会社の株式の取得を通じて行われていることがわかる。途上国の企業にとってこうしたことはきわめて難しいことは明らかである。

 その結果、一般的にいって先進工業国と途上国との間、および途上国内の情報技術ギャップはますます拡大することになる。純粋に数量的な観点からいえば、世界における情報のアクセス能力には依然として大きな差があり、その意味で途上国における情報技術の普及はまだ萌芽期にあるといっても過言ではない。

 途上国が所有するコンピューターは、世界全体のほんのわずかな割合でしかない。第三世界はこれまで、主として在庫管理、会計、そして給与計算といった、基礎的な用途にのみコンピューターを使用してきた。質的観点においても途上国は大きく立ち遅れている。社会の「情報化」のプロセスとは、大量の知識と情報が商品とサービスに取り入れられる過程である。知識と情報はまさに、富と付加価値の源泉である。知識の量が増大するほど、エネルギー、原料、労働および資本が節約できる。先進工業国における知識の集中と情報の集約それ自体が、工業国と途上国との間の情報技術のギャップを縮めるうえでの新たな障害となるのだ。

 もちろん、この事実には別の「解釈」も成り立つ。識者の中には、一部の途上国においては、情報技術は、特定の分野で競争力を向上させ、また確かに確立された産業インフラは不足していても、開発を促進するうえで強力な新しい武器となると主張する人もいる。確かに途上国であっても、情報技術に基づいた先進的なシステムを取り入れるうえでの制度的な障害はほとんどない。しかし、筆者にいわせれば、こうした考え方は、実際に情報技術が依然として途上国のほとんどのユーザーにとって「ブラックボックス」化したものであり、操作、修理、さらに購入の手段を彼らが持っていないという事実を軽視している。とりわけ統合された情報システムという、もっとも採算性の高い分野において、この事実は非常に重要である。


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技術における“適度なブレンド(混合)”
アジット・バーラ

 今日だれもが、新しいソフトウエア、新しいネットワーキングツール、新しい効率化技術が市場に登場する速さに当惑している。そうした当惑の中心にあるのが、ここでアジット・バーラ氏が疑問を投げかける、開発にまつわるジレンマである。つまり、新旧技術を併用する適切な割合とはどのようなものなのか、また新しい技術をどれほど採用し、古い技術をどれほど放棄すべきか・・・。誤った選択は、国全体に大きなマイナスをもたらしかねない。それは、1970年代、あるアフリカの国において、コンピューターシステムを早まって採用したため、国家予算全体に大きな負担がかかってしまったような例を見ても明らかである。

 開発の初期段階の数十年間、だれもがもっとも大きく、見た目がよい、最新の機器を好み、後にその選択の誤りに気づくといったことがよくあった。今日求められているのは、一連の技術の選択肢を拡大することであり、中でも将来性が高いのは「技術の混合(ブレンド)」という考え方である。デリー、エール、そしてオックスフォードの各大学で教鞭を執ってきたインド出身の経済学者、バーラ博士は、国際労働機関の技術・雇用局長である。以下は、国連大学の出版物『未踏域への探求:科学、技術と開発』に収録されている同博士の論文からの抜粋である。 ――編集部

 1980年代初頭、新技術が次々と開発されるにつれ、工業国の経済および社会全体にかつてないほどの雇用不安や社会問題が広がるという危機的状況を、だれもが思い描いた。しかしほどなくして、技術革新は予期したほどのスピードでは実現しないことがわかってきた。そこには、景気の後退や需要の不振、あるいは新しいタイプの多種技術の不足という要因もあったし、また惰性的に旧来の経営スタイルが保たれ、新しい技術の潜在的な利益に政策担当者が無知であったという事情もあった。

 新しい技術の開発は大規模な科学研究・開発に大きく依存するため、ほとんど例外なしに新技術の生産は先進工業国に集中している。ほとんどの途上国は、その莫大な投資に見合う生産力を持たない。設備投資ばかりでなく、途上国には科学者、エンジニア、システムアナリスト、多能熟練技術者など、必要とされる人的資源がしばしば不足している。こうした理由から、新しい技術は、莫大な資源と組織を持つ大手多国籍企業に集中し、支配されることになる。

 マイクロエレクトロニクスの技術導入によって、大量失業という事態も起きかねないとの当初の懸念に反し、先進工業国と途上国でのこれまでの経験によると、雇用に対する直接・間接的な影響はさほど大きくはないことがわかってきた。景気後退もあって、当初の悲観的な予測は現実のものとはならなかった。さらに、新しい技術は、旧来の労働力に取って代わる可能性がある一方で、新たな製品やサービス等を生み出すことにより、雇用の機会を拡大することにもなった。

 しかし、現在の不十分な知識からしても、明らかなことがひとつある。それは、マイクロエレクトロニクスを基盤とした技術は、雇用の量、仕事の構成、および労働市場だけではなく、その質にも影響を与え、柔軟な雇用システム、労働時間の短縮、在宅労働、ワーキングライフの質の向上などをもたらしたということである。

 また、新たな技術革命は、国内および国家間の所得の配分に非常に大きな潜在的影響力を持つということも指摘されている。しかし、この推測は経験的裏付けに欠け、雇用にもたらされる技術革命の影響ほど定かではない。

 たとえば、所得の配分――生産者・消費者間、および生産者・労働者間の配分――に対するマイクロエレクトロニクス技術の影響に関してはいまだに不明の点が多い。また、所得配分に対するマイクロエレクトロニクスの影響が、「緑の革命」の影響と異なるのかどうかも明らかになっていない。マイクロエレクトロニクスはおそらく、製品に対して緑の革命よりも大きなインパクトを持ち、大規模生産者および多国籍企業に対してより有益なものとなる可能性があると見られている。消費者の場合、マイクロエレクトロニクスを組み込んだ製品(たとえば腕時計、時計、乗用車など)をより簡単に購入することのできる途上国の豊かな消費者がもっぱら利益を享受する。しかし、これらの仮説は、まだほとんど立証されていない。  新しい技術は、直接的・間接的に途上国に大きな影響を与えることは明らかといってよい。

 直接的な影響とは、増大する生産のグローバル化と国際競争により、輸出志向の国々は、工業国との競争のために新技術の導入を余儀なくされることである。工業国では新技術の開発・利用が増大し、各国間ですでに深刻となっている技術的格差がさらに広がる可能性がある。“置き去り”にされる不安が、途上国に選択的な新技術の導入を迫る圧力となっている。  間接的には、工業国における新しい素材やバイオテクノロジーの利用が、すでに途上国の原材料および商品の輸出に被害を与えている。途上国は、工業国で起きている「製品の脱原料化」、そして旧来の製品が新型製品に置き換わっているという現象を前になす術がない。


飛躍の利点

 出遅れた途上国は、新しい技術を導入することにより、手作業式システムから一足飛びに柔軟な製造システムに移行することが可能かもしれない。しかし、それが功を奏するのは、ハイテクの利用を通じて新製品を生産する組織力および技術開発能力がこれらの国に存在しているときに限る。また、途上国がハイテクを効果的に消化吸収するためには、高度の技術力を所有していることが前提となる。

 しかし、これらの前提条件を満たし、発展段階にある途上国はほとんどない。途上国の大半の産業部門は小規模で、工業化の初期段階にとどまっている。これらの国では、新しい技術の有用性は、直接的な素材産業の発展に結びつかない。しかし、これらの技術は、たとえば農村地域への医療サービスの提供にマイクロコンピューターを応用することや、教育におけるコンピューターの使用を通じて、人間の能力開発に計り知れないほどの効果を発揮する。新しい技術はまた、伝統的な教育システムの効率を高め、学校というシステム外の教育訓練を可能にする。


古いものを保持しながらの「新旧混在」

 大半の途上国において、新しい技術の最大の利点は、いわゆる「技術の混合」――従来のものを捨てずに新しい技術と伝統的な技術を組み合せること――から引き出すことができるだろう。この混合の概念は1983から84年にかけて主張されはじめたものだが、そもそもそうした考え方は、近代科学および技術の恩恵が途上国の貧困層まで到達していなかったという認識から発したものである。

 ほとんどの途上国では、先進技術が利用できるにもかかわらず、旧式の、生産性の低い技術が依然として使われている。そのような旧来の方法に取って代わるのではなく、新しい技術を段階的に近代化のプロセスに応用していくことができるかどうかが課題である。

 1970年代に開発思想家を魅了した「技術の適合」という概念がある。混合の概念は「技術の適合」と同様、既存の技術のなかからの選択を指すのではなく、むしろ貧しい途上国のニーズにより適した新しい技術の開発を指すものである。

 技術の適合という概念が主として段階的な技術革新を指すのに対して、混合は、今日の技術先進国が辿った多くの段階を踏まずに、途上国が大躍進することを暗に意味している。 技術の混合をもっとも的確に分析するためには、新しい技術のあらゆる形の特徴をとらえ、目指す先を見据えなければならない。目標は単純である。つまり、「新しい技術の恩恵を都市と地方両方の貧困層の生活水準の改善に向けること」である。この目標はある程度、技術の混合があるべき姿を定めることになろう。

 ここで概ね、両極端のパターンを想定することができる。ひとつは、技術の混合が新しい技術のさまざまな特徴をほぼ全面的に反映するという見方、他方は、混合が伝統的な技術を大きく反映するという見方である。実際問題、都市部と地方の貧困層では、伝統的な技術をつぶさずに保ち続けることができれば、新旧技術の混合につながるだろう。

 途上国の貧困層は購買力に欠けるため(彼らの所得は概して平均をはるかに下回っている)、技術の混合が彼らにとって高価なものであってはならないことは明らかである。農村に新しい技術を普及させる初期の段階においては、緑の革命期に農業に投入されたのと同じように、助成金が必要となるだろう。技術の混合は、理解しやすく、維持しやすく、修復しやすいものでなければならない。

 混合の可能性はどうあれ、近い将来において、このシナリオにおける新しい技術要素が持続するのは主に工業国においてであることはほぼ確かであるといってよいだろう。たとえば新興工業国のさらなる発展によって、ますます途上国間におけるギャップが広がる可能性さえある。将来的には、第三世界に増大する利害の対立は、よりいっそう技術的な要因からの影響を受けるに違いない。このことは、技術の可能性の構築と選択をどの程度行うか、ということが発展を論じる際にいかに重要な要素になっているかを明白に物語っている。


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成長のための組織づくりとは・・・
W・エドワード・シュタインミュラー、マリア・イネス・バストス

 私たちの時代が抱える、最大の経済的難問のひとつは、情報およびコンピューター技術に対する膨大な投資が、なぜ明確に数値として生産性に反映されないのかということである。近代成長理論を最初に唱えたノーベル賞受賞の経済学者、ロバート・ソローはかつて、「情報技術はどこにでも見られるが、ただ、数値にだけは現れない」と述べた。ここに、世界は新たに最盛期の幕開けにさしかかっているとする見方と、経済動乱を予測する人々との間の論争の素地がある。

 以下の論文でW・エドワード・シュタインミュラーおよびマリア・イネス・バストス両氏は、新しい技術(半導体、コンピューター、ソフトウエア、電気通信)がどのように先進工業国と第三世界の経済成長に影響を与えてきたかを考察している。両氏は、近代的な情報や通信技術を最大限に使いこなすための、新しい方法の重要性を強調している。ここでは、職場での改革の障害となる社会的、技術的な既存のネットワークの取り扱いが課題となる。

 シュタインミュラー氏はオランダ・リンバーグ大学の教授であり、バストス氏はオランダ・マーストリヒトにある国連大学新技術研究所(UNU/INTECH)の研究員である。本稿は、インド政府の協力で国連工業開発機関(UNIDO)が開催した、西暦2000年以降の産業見通しに関するグローバルフォーラムに提出された論文(1995年発表)の抜粋である。――編集部

 情報・通信技術は、新しい産業秩序の基盤としてこれまで盛んに推奨されてきた。現在さまざまな発展段階にある国々において、情報・通信技術に莫大な投資が行われている事実が、この考えが先進国同様、多くの途上国で広く受け入れられていることを物語っている。1993年だけを見ても、主要先進国および新興経済諸国においてこの分野に7,500億ドルに及ぶ金額が投資されたものと見られている。大規模の投資を惹きつけるこれらの技術が約束するものは何か。その“約束”は守られているのか、あるいはいつ守られるのか。

 過去2世紀の間、先進諸国は、動力に化石燃料を使い、機械を基盤とした大量生産技術を改良し、また工場などの新しい社会組織を確立することにより、産業革命を達成し、その後も高い水準の持続的な経済成長を達成してきた。この持続的な成長の背景は、農業よりもはるかに高い生産性を工業化によって実現したことであった。農業もまた、当初は輸送、その後は灌漑や化学肥料などのために化石燃料を使用することで、19世紀初頭には大きな変化を遂げた。

 先進工業国においてはこうしたプロセスを20世紀前半にほぼ完了したが、途上国は多くの理由によってこのプロセスはなかなか達成できなかった。

 途上国における製造生産性において情報・通信技術が約束するものは、実質的な進歩による産出高の拡大である。拡大の規模によっては、かなりの雇用と富を創出することができる。情報・通信技術は労働力を削減する傾向があるため、減少してしまった労働力に対する需要を刺激するには、産出高の大幅な増加が必要となる。さもなければ、新しい技術は労働力に対する需要を減らす、ネガティブな要因になってしまう。

 情報・通信技術がもたらす“約束”は、技術の進歩によって部分的ではあるが実現されており、その多くは、情報・通信技術の生産に物質科学を直接応用した結果である。コンピューター、電気通信装置、関連電子装置の生産における半導体の利用は、依然として最も重要な応用例であるといってよいだろう。

 多くの場合、情報技術の利用による生産性の向上の結果として、生産プロセス内の管理改善、個々のプロセスの円滑な統合、仕入れと出庫の適切な管理などが図られる。通信技術は、調整作業――たとえば、在庫に関する詳細な情報の伝達、流通システム全体を含めたスケジュール作成など――において特に重要である。生産性の向上は、原料、労働、資本の節約によるコスト削減などによって実現される。なかでも労働力の節約は、コストの削減を実現するための前提といってよい。

 情報・通信技術はまた、市場インフラに特有の欠陥を補正する役割を持っている。たとえば、交通渋滞に巻き込まれたトラックの運転手は、携帯電話を使って運送の遅れを届け先に知らせ、また無線通信により代替ルートを把握することができる。さらに、そのような情報はすべて精緻な物流コントロールネットワークを通じて調整される。

 しかし、組織的な変化がなければ、こうした技術の応用が劇的な生産性の上昇に結びつくことは難しいということを改めて強調しておきたい。トラックの運転手が届け先に遅延を知らせても、この情報によって相手先の作業そのものが変更されなければ、現場に情報を伝達する意味はない。つまり、常に生産プロセスおよび作業に柔軟性が必要となるのである。

 トラック運転手の単純な例は、現代の製造業に見られる社会的・技術的ネットワークを物語るほんの一例にすぎない。これらのネットワークのほとんどは、幾世代も経て発展するため、急激な変更や再構成に迅速に対応することが難しい。これは、情報・通信技術がもたらす生産性を最大限に高める際に、製造業が直面する本質的な課題といってよいだろう。


サービスにおける情報の活用

 新技術が経済成長を助けるという傾向は「サービス部門」にも見ることができる。ここには、医療などの専門分野からヘアスタイリストといった個人サービス業にいたるまで、多様な事業活動が含まれている。これまで、製造部門に見られたような、劇的な生産性の向上を、サービス部門にも実現しようとする試みはなかなか実現しなかった。

 その点、情報・通信技術は、この問題を解決する重要な鍵と見られている。それらの技術が、製造分野に見られたような発展と同程度の、あるいはそれ以上の生産性を生み出すことが期待されている。サービス部門の生産高は依然として上昇しているため、全体的な経済成長と生産性の向上をそれほどの限界を感じることなく維持することが可能になるかもしれない。

 サービス部門においては限界のない成長が可能だという考えは、先進国と途上国の両方を等しく勇気づけるものといってよいだろう。先進国にとって、サービス部門の生産高の向上は、人的資本への投資を促すとともに、地域が抱える環境問題に対する活動をより充実させる。サービス部門の成長はまた、農業および工業における生産性の改善によって余剰となった労働力を吸収し、国内産業成長のための新たな機会を提供することにもなる。

 さらに、このような機会は、海外からの輸入に対しても強みを持っている。たとえば、情報技術の活用は、ソフトウエアおよびシステムエンジニアリング・サービスに対する国内需要を創出し、他の多くのサービス業よりも収入のよい仕事を生み出すことができる。

 こうしたメリットへの対価を考えてみると、途上国における課題は、サービス部門の従業員の賃金が持続的に上昇することを考えて、サービスの価値と質を向上させる方法を見つけることである。そのとき、サービス部門の生産性の向上が前提条件となることはいうまでもない。

 かくして先進国と途上国はともに、サービス部門の生産性を向上させるという課題に直面することになる。しかし、繰り返し強調するが、新技術の開発を生産性の向上に転換できるかどうかは、いかに組織の変化を実現できるかということにかかっている。これまで製造業が経験してきたのと同様の組織的な変化を、情報・通信技術によってサービス部門においても同様に実現できるかといえば、非常に難しいことがすでにわかっている。その理由はいくつかある。

 第一に、サービス部門においては、大量生産の原則がかならずしもあてはまらないことである。このことが、さまざまなサービス活動にまたがって応用可能な情報・通信技術の範囲を狭めている。第二に、サービス部門においては情報・通信技術が新製品の開発にしばしば使用されることはあっても、大量生産および消費とはまったく結びついていないことである。たとえば金融サービス業において情報・通信技術が金融取引のためのスケールメリットの基盤となっていることは間違いないが、同時に、これらの技術によって個々の注文に合わせた、個別的な新サービスが生み出される余地が残っている。

 他の経済活動を刺激するために、製造生産性の向上が最優先事項となる途上国にとっては、サービス部門はあまり重視されないことが多い。加えて、情報技術の主要なメリットは、労働力の節減である。その点、途上国においては、ほとんどのサービス産業は個人単位で行われており、余剰となった労働力を吸収することはあまりできない。

 以上に述べたような意見が真実を衝いていることは確かだが、しかし、若干の誤解が含まれている。

 というのも第一に、途上国では、政府がしばしば国の経済活動全体の比較的大きな部分を占めている。つまり、多くの場合、政府活動は一種のサービス業である。したがって、政府の生産性の向上は民間経済の活性化につながる。

 第二に、サービス部門と製造部門とはしばしば密接な補完関係にある。したがって、小売および流通部門における効率的な実績は、製造業に直接的に影響を与えることになる。


グローバルな生産システムにおける調和とは・・・

 第三に、途上国においては、ますますグローバル化する労働市場に対する供給者および下請業者としての機能を果たすため、自国の生産システムを先進経済国のコンピューター化されたシステムに調和させる必要がある。こうした“調和のプロセス”においては、企業の「サービス」レベル(たとえば、サービスカウンターや先進国との通信手段)ばかりでなく、顧客の需要に迅速に対応しながら品質を管理し、またスケジュールを作成する生産プロセスの中に、新しい情報技術を大胆に取り入れることがどうしても必要になってくる。

 こうした調和の問題は、多くの場合、サービスに対する需要に関係している。情報・通信技術の広範な活用が実現できなければ、情報・通信技術も国際貿易を促進するどころかむしろ阻害してしまうことさえある。

 最後に、サービス業であれ製造業であれ、生産性の向上はどのような側面で達成されようとも価値があることには変わりない。情報・通信技術が労働を解放するように、生産性の低い雇用パターンに執着するのではなく、いかに新たな雇用機会を創出できるかどうかという問題が重要なのである。

 先進工業国と途上国の双方において、近代的企業のオフィスや作業現場における情報・通信技術の活用は、必然的に伝統的な労働階層と対立する組織の形成を伴う。つまり、情報・通信技術によって生産性を高めるためには、ほとんどの場合、組織と労働の中身を経済生産高の向上に直結するように再編成することが必要なのである。


「執拗で誤った見方・・・」

 情報・通信技術は、生産活動において未熟練労働に直接取って代わるものとして採用することが可能である。また管理者や設計者は、労働者よりも、オートメーションというより従順で信頼できる“労働力”によって助けられているという意見は、現在にはびこっている誤った見方といってよいだろう。しかし、中間管理職の人々にとって身近な情報の取得、選択、伝送といった操作は、情報・通信技術によっていとも簡単に追い抜かれてしまうように、情報操作もまた、現場の労働者以上に速いスピードで陳腐化してしまう。

 さらに、新しい生産技術の導入には、産業設計者の指導とは独立し、現場で問題を解決することができる熟練した柔軟な労働力が必要である。まさにこうした傾向があるからこそ、情報・通信技術を取り入れることは、産業プロセスの初期の段階でつくりあげられた階層構造と相容れないものとして、しばしば人々の抵抗を受けることがある。

 情報・通信技術の活用によって製造生産性の向上を図るうえで途上国は、先進国と同様、多くの問題に直面している。途上国はまた、先進国における情報・通信技術の利用パターンの影響を大いに受ける。先進国は大規模なアウトソーシング化に向けて情報・通信技術を活用しているため、市場障壁の減少により、途上国が供給者となる傾向はますま高まっている。  しかし、このようなプロセスに参入するには、途上国の企業はこうして生み出されている供給チェーンに自らを組み入れるため、情報リンクを開発する必要がある。さらに、工業国はこれらの技術を使って製造部門の柔軟性を向上させるため、途上国の企業はいっそう厳しい競争にさらされることになる。伝統的な大量生産方式は、もはや通用しない。従来の労働階層を減らし、市場の需要と生産をより密接にリンクさせる組織モデルの採用が否応なく必要となってくる。

 情報・通信技術の潜在的な役割に関する私たちの結論は、あくまでも先進国の経験論に基づいている。米国の経験は(欧州および日本も同様であるが)、100年にわたって製造業で達成された生産性の大幅な向上を再び実現するには、新しい情報技術による急速な技術の進歩をさらに上回るものが必要であることを示唆している。それには基礎的な組織の変更が必要であり、その試みは端緒に就いたばかりである。これらの改革は、新しい技術を集約的に利用するサービス業および製造業の間で、さまざまな速度、方法で押し進められている。途上国においても、このように統一のない発展がいまだに見られる。


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サイバースペースに翻弄される中南米の都市生活
アラン・ギルバート

 ラテンアメリカの過密都市に、さらに流入を続ける何百万人の貧農にとって、人生を予測することはほとんど不可能といってよい。情報革命の影響で、この不確実性は一層強まるであろうとアラン・ギルバート教授は主張する。彼らの日常生活に影響する重要な決定は、どこかよそで行われる。新しい通信技術によってグローバル化が進むなかで、新たな富がもたらされることもあれば、すでに持っていた富が突然奪い去られることもある。コンピューター、ビデオ、モバイル機器などは大きな期待をもたらす一方で、それと同等の不確実性をはらんでいる。ロンドンのユニバーシティ・カレッジ地理学部のギルバート教授は、人口、都市化、開発に関する国連大学プロジェクトのコーディネーターを務めた。教授は、国連大学の出版物『ラテンアメリカのメガシティー』の編者のひとりでもある。――編集部

 コンピューターと電気通信がもたらした新しい境地「サイバーグロース」は、グローバル化の進行を大いに助長した。ラテンアメリカ、そして地球上のすべての都市住民にとって、生活に影響を与える多くの重要な決定が、彼らの住む地域以外の、どこかよそで行われるようになっている。巨大な多国籍企業の本社で下される決定が、アルゼンチンの失業問題へとつながる。あるいは、ワシントンの国際通貨基金の決定が、メキシコの食糧補助金額の割合に影響する。また、先進国における石油の価格上昇が、ベネズエラ政府に税収をもたらす。

 これらの例が示すように、ラテンアメリカの人々にとって、グローバリゼーションは恩恵を与えることもあれば、悪影響を及ぼすこともある。問題はここにある。サイバーグロースがラテンアメリカの諸都市に及ぼす影響についての簡潔な答えは、「予測不可能」の一言につきる。

 かつて国際貿易および外国投資に依存する割合が低く、国内産業および農業を国際競争からできる限り保護していた時代においては、その国の政府に一定の自律性があった。ひとつの国家が単独で意思決定を行うことができたわけだが、もはやそれは不可能となった。世界経済の統合が競争力のあるラテンアメリカ企業に対外進出を可能にすることは事実だが、保護措置の撤廃は、非効率なラテンアメリカ企業の淘汰を意味する。都市の中には、活況を呈するものもあれば、斜陽化するものも出てくる。ひとつの都市の中でも、富を築く人々がいる一方で、職を失い、年金さえも受け取れない人々がいる。

 過去30年間に、国際貿易額は飛躍的に増加したが、外国直接投資はそれを上回る増加を遂げている。外国投資によって、かつては考えられなかった遠隔地に新たな生産施設が建設されるようになった。メキシコと米国との国境地帯にあるマキラドーラ工場の拡大はその典型的な例である。外国企業は、生産者サービスにも多額の投資を行っている。大手の国際ホテル、通信、輸送、会計・金融システムの拡大には目を見張るものがある。なかでももっとも注目に値するのは、電子金融取引システムの拡大と、24時間取引の台頭である。

 残念ながら、この新たな市場開放にも影の部分がある。これは1994年12月のメキシコを発端とする一連の出来事によって露呈した。ネオリベラル経済の優等生とされていたメキシコが、一夜にして無能者へと転落したのである。チアパス州のゲリラ活動と、新大統領の政治手腕不足と、国際収支赤字の拡大と、通貨切下げの失敗とが重なり、ポートフォリオ資金は一気にメキシコから逃避した。ペソの下落防止のため、メキシコは約40億米ドルの損失を被った。メキシコシティーの株価はドルベースで50%下落し、1995年中に百万人程度の失業者が出たものと見られる。

 グローバリゼーションが進むなか、こうした信頼の喪失がもたらした致命的な影響はメキシコだけにとどまらなかった。いわゆる「テキーラ効果」が、ラテンアメリカ全体の株式市場と外国為替市場を直撃した。1994年12月のメキシコ・ペソ危機発生から3週間で、サンパウロ株式市場の株価は34%、同じくブエノスアイレス市場は29%下落した。最新の通信技術に依存した新たな国際金融市場は、一地域の政治・経済の動向に即座に反応する。金利や為替レートのわずかな変化によって、数十億ドルもの資金が世界の金融市場を駆け回る。

 金融システムの原則の変化に限らず、国際競争のプロセス全体が市場の不安定要素を高めているように見える。比較優位性は、一瞬にして崩れ去る傾向にある。ラテンアメリカの自動車の大半を生産していたブラジルが、翌日には、通貨価値の変動によりその競争力を失うといったことが現実に起こる。国内レベルでは、メキシコのような危機が、国内生産を混乱に陥れる。


貧困と不平等

 新たな国際貿易体制は、国内の雇用を創出するとともに破壊もする。メキシコでは、米国との国境地帯で雇用が創出される一方で、メキシコシティーおよびグアダラハラでは失業が増えている。コロンビアでは、中国からの安価な輸入品がメデリンの衣料産業の土台を浸食するかたわら、ボゴタの輸出業者にビジネスチャンスをもたらした。

 労働市場の再編成のプロセスにおいて、ミトルマンが「富者と貧者の深い隔たりによって人生は特徴づけられる」* といみじくもいったように、グローバリゼーションは、すでにして顕著な不平等をさらに際立たせる。資格ある者は仕事を得る可能性が高く、資格のない者はその可能性が少ない。大都市で新たにつくり出された「専門的」な職種には、それに見合ったスキルを持ったものだけ就くことができる。大学教育を受けず、また技術を持たない労働者には高給の仕事を期待することはできない。貧しい者が恩恵を受けられるのは、このような仕事によって低賃金雇用が生まれた場合だけである。


消費と国際的デモンストレーション効果

 ラテンアメリカでは、テレビの普及と多国籍企業の広告キャンペーンによって、“グローバルな消費者”になりたいという欲求が刺激されている。ラテンアメリカの人々も、ウォークマンを持ち、リーバイスをはき、ビッグマックを食べ、ディスニーワールドに行きたいと望むようになった。だが残念なことに、そのような「洗練された」製品やサービスを手に入れたいという欲求にその能力が伴わない。現地通貨の対ドル・レートが頻繁に急落し、多くの国で実質所得が目減りする中で、大衆は新商品を買いたいという欲求を満たすことができないでいる。犯罪の増加は、こうした欲求不満の一つの発現形態であるといえよう。

 もちろん、消費水準の国際化の程度は、ラテンアメリカ各地で大きく異なっている。ティファナは、カリフォルニア州に近いことと、物資が豊富であることから、ラパスよりもはるかに国際化が進んでいる、といった具合である。


国家の本質

 グローバリゼーションによってラテンアメリカ諸国は、輸入代替段階で苦心して導入した規制の多くの撤廃を余儀なくされている。自由化は、政府自体の改革を求め、1980年代にラテンアメリカで起こった民主化運動はその傾向をさらに強めた。こうして誕生した新政権の多くは、地方分権と国民の政治参加の原理を受け入れ、中央による統制の緩和と、国民多数派の意見の反映を図ったのである。

 残念なことに、経済の不調と行政の地方分権という組み合わせはかならずしも生活水準を改善しなかった。水道および電力などのサービスを運営する権限が地方自治体に委ねられるようになっても、その権限に伴う予算はほとんど与えられなかった。中央政府にとって地方分権化の明確な利点は、民主的に選ばれた地方の指導者がサービスが行き届かない責任を負ってくれることにほかならなかった。

 グローバリゼーションはまた、都市や地域間にも激しい競争をもたらした。ラテンアメリカ各国の政府は、経済競争強化と外国投資誘致を同時に強いられている。このため、ラテンアメリカの各都市は、外国人、特にハイレベルの実業家と外交官に対する魅力を増やそうと、自らの再編を図っている。

 こうしたプロセスが地域住民にとってかならずしも有害であるとはいえないが、“過剰セールス”的なやり方は有害である。地方政府は、外国企業による環境汚染を見て見ぬ振りをし、それでなければ汚染の処理まで引き受ける約束をする、ということがたびたび行われている。

 ここでも典型的な例として、米国・メキシコ国境地帯のマキラドーラ工場の発展は、深刻な環境問題をもたらしている。


政治的抵抗

 一部で懸念が表明されてはいるものの、実際のところ、グローバリゼーションの結果としてラテンアメリカの諸都市で幅広い社会的抵抗が起こっているという確信は筆者にはない。それどころか、筆者にとって最も奇妙に思える特徴の一つは、ほとんどの人々が従順に構造調整を受け入れたということだ。ブラジル、メキシコ、ペルー、ベネズエラの一部の都市で暴動が起きたが、概して貧困層はさほどの抵抗を示さなかった。それどころか、カルドゾ大統領(ブラジル)、フジモリ大統領(ペルー)、メネム大統領(アルゼンチン)がそれぞれ再選を果たしていることは、厳しいマクロ経済政策の実践者がインフレという「貧困税」を抑えたことに対し、貧困層が支持という形で報いていることがわかる。

 メディアのグローバルな影響力が一種の国際規模のデモンストレーション効果をもたらしていることは否定できない。カラカスで暴動が起きているなら、ここメキシコでも起こそうではないか――人々がそう考えても不思議ではない。しかし、全体としてほとんど抵抗は見られなかった。最貧の地域では人々は生活費を稼ぐため長時間働き、抗議する余裕などないのだ。グローバリゼーションは、抗議行動が起きてもおかしくない客観的状況を作り出した。だが今のところ、その兆候はあまり現れていない。


結論

 ほとんどのラテンアメリカのオフィスは、コンピューターの利便を享受している。多くの家庭が携帯電話、ビデオやステレオ、ラップトップコンピューターやモデムを所有している。これがラテンアメリカの諸都市の生活水準を改善したかどうかは定かではないが、ひとつだけ確かなことは、サイバースペースが生活を変えたという事実である。サイバーグロースがもたらしたグローバリゼーションは、改善の可能性と容易ならぬ危険とを秘めた両刃の剣といえる。

 きわめて危険なことは、グローバリゼーションが高い期待と高い不確実性の両方を持っていることである。広告は、貧しい家族に自家用車を持ちたいという欲求を起こさせるが、遥か彼方のオフィスで下される決定によって、彼らは職を失う可能性もある。サイバースペースにおいてとくに危惧されるのは、意思決定とその結果が、空間を越えて広く影響を及ぼすときのスピードである。1994年にメキシコを襲った影は現在、ラテンアメリカ中を取り巻いている。ネオリベラル的な、正統の模範がまたたく間に無能になることが証明されたいま、次の悲劇はどこを襲うのだろうか。おそらくこれは、新しいグローバル時代の最大の危険といってよい。通貨の暴落、小作人の暴動、あるいは左翼による政権奪取が、突然、国際的信用を脅かすかもしれない。長年の辛苦と経済改革を通じて達成された信用が、数日で根底から損なわれてしまうことさえありうる。国際的信用が損なわれた場合、その代償を支払うのは、ほとんど貧困と中間層であることは間違いない。金稼ぎが再び崇高な野心として認められるようになったこの時代に、ラテンアメリカの大半の政府は、公平性の確保を二の次にしている。よって、今後ラテンアメリカの情勢がどう動くにせよ、従来よりも安定性と公平性が薄れていく可能性は高い。ラテンアメリカの過去を顧みれば、これは真に楽観を許す理由とはなり得ないであろう。


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「本当の国際通貨」とは・・・
エイトール・グルグリーノ・デソウザ

 ブラジル出身の教育者で、物理学者でもあるエイトール・グルグリーノ・デソウザ教授は、国連大学第3代学長としての10年間、開発プロセスにおける新しい情報技術の役割について多大の関心を寄せてきた。以下は、学長時代に行われた数々の講演からの抜粋である。デソウザ教授は昨年8月末で任期が完了し、ハンス・ファン・ヒンケル博士がその跡を継いだ。――編集部

 歴史が始まって以来このかた、地球が味わってきた苦難の多くは、理解の最初の一歩としての情報処理能力を人類が欠いていたことに起因している。反面、人類が生き残ったのは、何が危険で何が満足のゆくものか、つまり新しい情報を区別する、遠い祖先に遡る人間の能力のおかげといってよいだろう。

 情報革命の主役を担う多くの人々はいま、今日の社会を動かし、変化させているいくつかの主要な推進力――教育、基礎および応用研究、ますます精緻になる情報システムの管理――の収斂を目指している。こうした人々は、21世紀に私たちの日常生活すべてに張り巡らされているであろう複雑で、それでいて不可欠なグローバルネットに対する責任を負う人々である。

 現代のように複雑で、急速に変容する世界においては、新しい知識へのアクセスと、その吸収と活用の能力が、社会全体のすべてのレベルにとって不可欠な要件といってよい。今日、好機と進歩を手にする鍵は、知識の収集にある。持続可能な発展の達成は、ひとえに膨大な量の新情報を吸収し、活用する能力にかかっているといっても過言ではない。私たちの努力の大部分が、貧困社会の科学・技術的能力の向上に向けられている。

 光ファイバーケーブル、衛星、コンピューター化された切換装置、あるいはコンピューターファックス機能付きで膨大な情報を分類する能力を備えた小型携帯電話などからなる、途方もない情報の高速道路――「未来に向かう電子ハイウェイ」――によってリンクされた世界は、時に、国境のない世界を彷彿させる。

 そこに秘められている教育の可能性は、学ぶ者の意識をより広い世界に広げようとする教師の心を沸き立たせ、血をたぎらせる。非常に長い間、学生であふれた教室や時代遅れの教科書、二流の実験設備などに耐えてきた途上国の教師にしてみればなおさらである。だが、デジタルスーパーハイウェイに(少なくとも今のところは)だれでもアクセスできるわけでないことを肝に銘じておく必要がある。我々教育者は、このハイウェイを流れる知識がだれにとっても利用可能なものとなるよう不断に努力しなければならない。

 エレクトロニクス技術の進歩の中で、情報および技術へのアクセスの欠如は、社会の貧富の格差を今以上に広げ、新たな種類の悲劇を国際社会にもたらす可能性を持っている。「持てる者」と「持たざる者」以上に、致命的な差が「知る者」と「知らざる者」との間に生まれ、「知らざる者」は決定的に取り残されてしまうかもしれない。

 情報は今や、売買される商品である。新しい製品や市場が、新しい知識の応用によって絶えず生み出され、かつてはもっぱら大学キャンパス内の学者や専門家に属すると思われていた先端的な知識は、産業界の意欲を大いにそそる分野となっている。

 情報の流れは人間の意識に直接影響し、かつてないほど新しい希望と不安を同時にかきたてる。そうした流れの結果、世界の貧しい人々の期待は時には非現実的なレベルまで高められていく。

 おそらくもっとも古い真理のひとつは、新しい知識が古い慣習や習慣を覆し、排除する時、人類は特に用心深くなるということである。ガリレオの時代から今日までこのことは変わっていない。ガリレオの時代は新たな疑 問の時代であったが、それは今日にも当てはまる。ガリレオの天体望遠鏡が反論を巻き起こしたように、今日でもコンピューター、移動体電話、ビデオディスクなどが、幾分不慣れな新しい通信形態を生み出し、日常のプライバシーなどに関して、私たちにかすかな疑問を抱かせている。

 20世紀後半の電子ハイウェイ時代を生き抜くうえで、すべてを知る必要はないが(今日の情報過多の社会でそうした試みは愚かでさえある)、どこに何があるかは知っておく必要があるだろう。そして必然的に、探し当てた情報には自由にアクセスできなければならない。

 国連大学では、現代世界において知識がどのように生み出され、また発展の妨げとなるようなギャップがどこに存在するかという問題に注目してきた。私たちは、真の知識とは人類の福祉をめざした、効果的に機能する情報である、とする最近の考え方は当を得たものと思う。

 高等教育は、主に通信技術の驚異的な発展によって、知識、価値、そして将来の展望等が自由に“取り引き”される“グローバルな市場”に近づきつつあると私は確信している。  インターネットやワールドワイドウェブを活用することにより、教育者はかつてない規模でネットワークを構築していくことができるだろう。それによって、将来的に広範囲な地域での学生たちのより親密な相互依存の関係を築いていくことができる。

 エンジニア、コンピューター技術者、ソフトウエア開発者などの新しい国際的社会階層の出現とともに、コンピューター、ファックスおよびその他の通信技術の利用がますます拡大し、グローバルな相互依存のネットが構築され、まったく独自の新しい相互関連性が生み出されている。

 科学者であるという背景から、私は、膨大な量の生のデータを吸収し分類することができる、無限の可能性を秘めた重要な科学的ツールとしてのコンピューターにそれほどの抵抗を感じない。しかし教育者としての私は、同時にこのような機器がもたらす間接的影響を認識しているため、ヒューマニストの意見に十分に耳を傾けるようにしている。たとえば、ラテンアメリカの私の友人で、ノーベル賞学者のカルロス・フエンテス氏は、「近代文明が直面している最大の難問は、情報を体系化された知識に変換する方法である」と警告する。

 教育者としての私たちは、コンピューターがどのように役立ち、人間の活動に貢献するかについて常に関心を持たなければならない。明らかに、コンピューターは、あらゆる場所で日常生活の質を高め、豊かにする無限の可能性を持っている。コンピューターは、電子の働きによって瞬時に膨大な量の情報を系統的に整理し、利用可能な状態にすることができる。とくに、小型のパーソナルコンピューターは、途上国の地域や村落レベルでの地方分権的成長および自立の促進に役立つ貴重なツールとなり得る。

 しかし、意思の伝達という、“人間らしさ”のまさに中核を占める能力を無限に進歩させようとする試みには、必ず“負”の示唆が含まれる。私たちは、ほとんどすべての技術と同様に、こうした“奇跡的な”通信手段が利点ばかりもたらすのではないということを認識しておく必要がある。

 情報のスーパーハイウェイは誰にでも開かれたものでなければならない。脱工業化と、工業化以前の段階にある地域が共存する世界に住んでいることを忘れてはならない。何百万の人々が、いまだ電話などの基本的なツールさえ見たことがないのである。ましてやコンピューター、モデム、インターネットなどは、まだまだ第三世界の村人には無縁のものであろう。地球上で社会の隅に追いやられ、貧窮した人々が新たな情報の進歩を創造的に活用し、開発につなげる方法を学ぶことが何よりも重要である。

 教育者として21世紀にどのような教育が必要かということを考えた場合、何よりも教育を受けた者がグローバルな視点を獲得できる、そんなものでなければならないことは明白である。つまり、価値の多様性を受け入れ、相互依存の必要性を理解し、変化に対応できるものの見方である。

 新しい電子通信技術により、かつてないほど、はるか遠い世界の教育者たちが互いに接触することができるようになった。マイクロエレクロトニクス技術によって実現した新しい情報の洪水は、非常に刺激的なものであるが、同時に既存の伝統的な教育体制および教育関係者に疑問を投げかける。学校に加え、他のさまざまな団体――企業、政府機関やその他定義もまだ定まらないような組織――が、思想と学問の世界の仲間入りをしている。

 予測は常にリスクを伴う。将来に関する推測に基づいた学習ニーズを探ろうとすれば、多くの誤りを犯す可能性がある。急速に変化するグローバル社会においては、20年から40年先に私たちが必要とするものを明確に特定しようとすることは、まったく非現実的な試みである。

 それでも私は、将来の国際教育のイメージに関して、ある程度の推測をすることができると考えている。私は、世界のあらゆるレベル、あらゆる文化、あらゆる地域の教育者がアイデアと価値観の交換を絶えず行い、それを促進する将来像を思い描く。グローバルネットワーキングの考えは、21世紀の教育分野における研究の規範となるだろう。

 私は、相互に学ぼうとする意志と能力こそが鍵であると確信している。確かなことは、いまや知識が急速に社会で通用する「唯一の国際通貨」になろうとしているということである。私たちは、この非常に貴重な硬貨を鋳造するために一致協力していかなければならない。


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国連大学の環境情報 http://www.geic.or.jp
グレン・パオレット

 現在、通信技術は、ほんの数十年前には考えられなかったような方法で世界の隅々を固く結びつけている。歴史上、インターネットほど急成長を遂げた通信手段はないといわれている。新しい情報技術の成長の速度は、統計数値に端的に表れている。たとえば、世界中で新しいウェブサイト――ホームページ――が4秒ごとにつくり出されている、といったように・・・。

 国連大学は1996年に、日本の環境庁と共同で東京の本部に「地球環境パートナーシッププラザ」(GEIC)を開設した。GEICは、ウェブサイト上に独自のホームページを設けている。この施設は国連の「アジェンダ21」に基づいて開設されたもので、環境問題全般にかかわるグローバルな広がりを持つプロジェクトの実施、ネットワーク構築、情報センターとしての役割――という3つの機能を持つ。世界の国々や主だった関係機関、さらにいろいろな国の人々に新しい形での協力と理解を促し、環境の面から見て持続可能な開発の実現を目指している。

 以下の論文は、GEIC担当の国連大学の環境専門家、グレン・パオレット氏が「Work in Progress」に寄せたもので、GEICとそのウェブサイトの設立、運営にあたって直面したいくつかの課題について述べている。――編集部

 今日、新しいホームページを作成することは、技術的にさして難しいものではない。必要なのは、パソコン(PC)とPCを電話回線に接続するモデムへのアクセスと、そしてhtml(インターネット用プログラミング言語)に関する若干の知識だけである。しかし、量は質に取って代わるものではない。ワールドワイドウェブ(通称“WWW”)を「サーフ」したことのある人ならだれも、数あるホームページの中に「よい」ものと「あまりよくない」ものとがあることを知っているだろう。

 初心者はWWWによって、電子情報の世界を旅行し情報を探すことができる。WWWは「ハイパーテキスト」を使用し、リンクされた強調文字をクリックすることで文書内をあちこち移動することができる。かくしてユーザーは、リンクされた言葉の跡を追う、つまり関心のあるトピックを選択すると、その関連情報のリストを一覧することができるのである。

 ホームページの作成には近道のマニュアルなどない。学習の多くは、他人のホームページを見たり、必要なものとそうでないものを頭のなかで選り分けたりと、自主学習によって行われる。

 地球環境パートナーシッププラザとは、地球規模に広がる環境問題解決のために国際連合大学と日本の環境庁が共同で設置した施設で、環境問題にかかわる国際プロジェクトの拠点であり、地球環境問題と世界中で繰り広げられる環境保全活動の情報センターでもある。

 地球環境データに関心を持つ世界中の広範なユーザーための、優れたホームページを開発することは、とりわけ難しい問題であった。GEICのホームページは、初めから四つのデータベースを備えている。第一は、インターネット上の他の環境情報へのリンクを提供する一種のエコロジカル「ウェッブマスター」、第二は、自然災害およびリスク管理に関するデータを提供するグローバルネットワーク。第三は、工業や農場から排出された有害物質を分析する、東アジア地域における環境監視と分析プロジェクトの情報を収めている。第四は、国連大学の島嶼(とうしょ)ネットワークの環境情報を提供する。


世界に向けられた顔

 これまで筆者が見つけた“ベストな”ホームページは、どれも例外なくユーザーの関心を引く要素を備えたものだった。ホームページ作成の最初のステップは、ターゲットとなる読者を識別することである。次に、その読者にアピールする情報パッケージを作成する。ホームページは、世界に向けられたあなたの顔である。もっとも難しいことは、自分のホームページを外から、あくまでも客観的に批判的に見ることである。

 いくつかの一般原則として、ウェブサイトは自分が実際に行っていることを反映し、ユーザーがそこから得られる利益に焦点を当てたものでなければならない。自分の組織および地理的限界を越えた要求にも応える準備が必要である。また、ホームページはシンプルなものに限る。素早く、簡単にアクセスができ、多くの開発途上国にあるような容量の小さなPCでも、どこからでも情報をダウンロードできることが大切である。極力、リンクやページ、情報に到達する「ワープ」の数を最小限に抑えることも必要である。

 だれがどこでホームページにアクセスしているかを定量化できるソフトを組み込むことも重要である。このような情報は、将来、ユーザーのニーズに合わせてホームページを改善するときに大いに役立つ。つまり、サイトを立ち上げればそれで終わりだという考えは捨てなければならない。ホームページはけっして静止的なものではなく、時間と労力を費やして維持し、常にアップデートし、新たなニーズや提案に応えていくべきものなのだ・p>B  GEICのターゲットユーザーは、持続可能な開発に関心を示す学者、NGO団体、中小グループ、そして一般市民である。こうした多様な読者に対して私たちは、全員に有用な情報、ネットワーキング、アイデア、モデルや事例を用意し、伝達しようとしている。GEICの国際性を踏まえ、グローバルな場における各人の役割を促進する活動を行い、たとえばNGOの国際および国内の一連の活動を支援している。1996年から97年にかけて、NGOの主要テーマのひとつは、気候変動であったが、GEICの活動も、1997年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)に合わせて行われた。

 国連大学の不可欠な一部として本部ビルの中にオフィスを置くGEICのホームページは、環境問題に関する国連大学の資料、研究成果を幅広く収めている。ネット上に配布された資料は、ゼロ・エミッション構想から、有機炭素シンクといった、広範なエコロジー問題を取り扱っている。GEICは、持続可能な開発を達成することを目指して、国連大学の研究者、プロジェクト参加者、および世界中の関係者間の通信を促進している。


欲しいものを見つける

 インターネットが非常に有効で強力なネットワーキングツールであることは多言を要しないだろう。私たちは時々、ネットワーキングが主要な情報検索源であることを忘れてしまうほどである。情報をどこから捜し始めればよいのか、また必要な情報を見つけることができないときなどに、特にネットワーキングはその威力を発揮する。世界は情報であふれかえっているが、問題は情報の量ではなく、特定の問題に関して必要な情報が正確に探し当てられるかどうかということである。

 たとえば、あなたが通信システムが十分でない途上国の政府官僚、あるいは学者だったとしよう。あるいは孤島に住んでいると仮定してもよい。いずれの場合も、あなたは国連大学ホームページの「読者」のひとりである。あるいは、何かの問題を抱えていて、より詳しい情報が必要なのに支援してくれる文献も人々もいないという状況を想定してほしい。そんなときでも、Eメールにアクセスすることはできる。このような途上国の状況においても、ネットワーキングは、これまで普通だった伝統的な研究方式よりもはるかに効果的であることが実証されている。

 GEICは、小さなコミュニティやマイノリティグループなどのネットワーキング、たとえば島嶼ネットワーク(図参照)などに多大の関心を払っている。GEICが発行を予定しているニューズレター「EarthWrap」上に対話式ホームページを設けることも優れたアイデアだと考えている。ホームページは、出版物すべてに関する完全な詳細を提供する必要はない。必要なものは、専門知識や協力を得られる場所と連絡先、また国籍に関する簡単な記述、そしてもちろんEメールアドレスだけである。Eメールのスピードのおかげで、たとえコンタクトした人が適切でなくても、短時間でふさわしい人物を見つけることも可能になった。


対話のパワー

 インターネットの最大の利点は、対話の可能性にあるといってよいだろう。ウェブ上にあるものはだれも、相互対話通信の可能性を持っている。ユーザーは、直接データベースを検索し、大型のマルチメディアファイルを転送し、家庭からあるいは旅行中に遠隔地からアクセスすることができる。このためには、ハードウエア面でのインフラ設備――たとえば、ハブ、ルーター、それにスイッチなど――をニーズに応じて変更しなければならない。

 個人向けのサービスが、ホームページの究極目標であるべきだと筆者は考えている。現在ではインターネットの価値はすでに、単なる情報の「分かち合い」の領域を越え、一対一の対話の場となっている。たとえばGEICの場合、中小のNGO団体、個人またはコミュニティグループなどのユーザーが最終的には、関心のある文書、リンクおよびEメールアドレスにアクセスできるサイトを個人向けにカスタマイズすることができるようにしたいと考えている。また、こうしたことによってGEICは、個々のユーザーにそれぞれが関心のある情報を知らせることができるのである。たとえばあるユーザーがエネルギーに関心を持ったとした場合、入手可能になった時点で関連情報がユーザーに伝送される。


「シンクベース」――ウェブを知的にする

 GEICで私たちは、ウェブの知性を増やすことを目的としたコンセプト「シンクベース」を確立した。シンクベースは、多数のリンクおよび文書から構成されており、実践的で有用な最新の地球環境情報をユーザーが必要としたときに、即座に入手できるという利点を持っている。

 インターネットの将来における「勝者」は、内容を個々のユーザーに合わせた、ダイナミックな対話式サイトを実現した人であるに違いない。各組織は、おきまりの情報やカタログページを収録する以上の努力を図らなければならないだろう。ウェブは書籍ではない。ウェブは、ユーザーを対象とした情報提供活動に「付加価値」を与えることができる。いったんサイトに入ったユーザーがそこから離れるとき、ある種の“付加価値体験”を獲得していなければならない。それだけに、コンテンツはますます特定のユーザーに合わせたものであることが重要となる。

 これまでウェブは、単なる情報の伝播手段と見られてきた。ところがいまやこの認識と役割は変化し、ウェブが情報を探す場所となった。こうした変化は、不可避的にホームページの構造自体の変化を伴う。これこそ、国連大学における環境問題の窓口である、GEICの一貫した研究テーマといって差し支えないだろう。


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開発のためのコンピューターソフト技術
クリス・ジョージ、徐 尼文

 マカオのダウンタウンにある国連大学のソフトウエア技術研究所のオフィスからは、今日世界でもっとも成長の著しいハイテク地域である中国・珠江デルタ、そして南シナ海を見渡すことができる。国連大学国際ソフトウエア技術研究所(UNU/IIST)は、工業化と未開発が隣り合わせるこの地域に位置し、21世紀に向けての開発途上国のソフト技術面での前進を支援している。

 パーソナルコンピューターは、ますます低価格で手に入るようになっている。また、コンピューターに接続可能な小型携帯電話の技術進歩により、まもなく、多くの貧しい国々を苦しめている停電等の問題にも対処が可能となるだろう。しかし、重要なのはハードウエアではない。給与台帳を作成し、データを記憶し、需要と供給のバランスをとり、フライトのスケジュールを作成し、またワープロ機能を実行するといった、コンピューターのための指令、つまりソフトが肝心なのである。しかし、ほとんどの途上国にはソフト技術会社が極端に少なく、また経験も乏しい。

 ハード価格の大幅な値下がりに反し、コンピューターの潜在的な応用可能性はいらだたしいほどに真価が発揮されないままとなっている。安価なコンピューターも、適切なソフト無しにはなんの役にも立たない。UNU/IISTは、こうしたニーズに直接応え、途上国に固有のニーズに合った、独自のソフト開発を支援している。UNU/IISTの学術スタッフ2名による以下の論文は、Work in Progress本号のために寄せられたものである。――編集部

 情報は、更新可能であるだけではなく、自生的な資源といってよいだろう。情報を使い果たしても問題ではないが、情報に溺れることは危険である。ソフト開発のための新研究所で、国連大学は第三世界における日々の生活を改善するために新しい技術を開発し、また押し寄せる情報の波に溺れることのないよう開発支援にあたっている。

 小型のパソコンは、途上国の地域および村落レベルでの地方分権の拡大と自立を促すための、理想のツールといってよいだろう。適切に設計されたコンピュータープログラムは、一国の成長と成功を導くほとんどすべての分野――農業、産業、運輸、天然資源、科学、医療、教育、金融、そして人材の管理――において、無限の可能性を秘めているといっても過言ではない・p>B  国連大学国際ソフトウエア技術研究所(UNU/IIST)で現在取り組んでいるのは、とりわけ途上国が日々直面している種類の問題――たとえば洪水や地震をはじめとする自然災害の管理、農村および遠隔地への出張医療サービス、小企業の在庫管理、税関・船荷手続き、あるいは列車の定刻運行など――に直接対処するソフトの開発である。これはいうまでもなく、情報革命の波に乗るためにきわめて重要な支援といって間違いない。

 しかし、ほとんどのソフト企業は豊かな国にあり、またソフトウエアの多くがゲームやマルチメディア機器などの市場に集中している。そのため、第三世界の過疎地が抱える問題を扱うソフトのための開発は大いに立ち後れている。

 UNU/IISTは、マカオ総督府、ポルトガル政府、そして中国政府からの資金援助を得て設立された。その多目的志向を称して、初代所長ディネス・ビョルナー氏は同研究所を、揺りかご、ショールーム、架け橋、水路といった、さまざまな言葉によって特徴づけた。途上国の情報分野の若い科学者を育成する場所としては、同研究所は「揺りかご」といってよいだろう。「ショールーム」としての同研究所は、さまざまな面で、アプリケーション開発、必須要件エンジニアリング、プログラミング、ソフトウエアエンジニアリング、ソフト管理技術、それにツール作成などに応用可能な、さまざまなアプローチの提唱を行っている。

 「架け橋」としては、UNU/IISTは理論と実践、大学と産業界、消費者と生産者、途上国と工業国とを結びつける役割を果たしている。最後に、「水路」としての機能は、ほとんど世界に知られていない途上国のソフトウエア研究および技術の成果に、世界の注目を集めることである。

 UNU/IISTのスタッフはけっして多くない。現在7人の学術・開発スタッフ、8人の管理および技術職、20人のフェロー(研究員)がいる。UNU/IISTは学位の授与は行っていないが、多くのフェローが大学院課程の一環としての研究にあたっている。フェローは、それぞれの提携研究所から派遣されており、通常UNU/IISTに9カ月ないし12カ月滞在する。

 UNU/IISTは現在、先端開発プロジェクト、研究、大学院の修士・博士課程研究、ワークショップおよびシンポジウムなどを開催するとともに、主として途上国の大学および研究所への情報提供など、数々の活動にあたっている。


進む開発ノウハウ

 先端開発プロジェクトは、システム構築のエンジニアリングを中心に行われている(反対に、UNU/IISTの研究は、より精緻なソフト技術の基本的側面の理解を主要な目的としている)。開発作業は基本的に、途上国の企業、政府省庁、大学、そして研究所などと共同で取り組まれる。先端開発は(ビョルナー前所長の比喩を再び用いれば)UNU/IISTの主要な「ショールーム」のひとつであるため、本稿ではこの分野における研究に大部分を割きたい。筆者のねらいは、UNU/IISTが焦点を当てている現実問題の実像を示すことにある。

 ところでその前に、まず方法論について一言述べておきたいと思う。UNU/IISTが促進する開発活動のすべてにおいて、企画設計に数学モデルおよび論証法が活用されている。素人の目には、使用される緻密な数式は記号と数字の羅列でしかなく、当惑させられることが多いだろう。だが、ソフトウエアの専門家にとって数式は、抽象を表現するツールであり、そして抽象はエンジニアにとって、詳細を探求する前に問題の本質を捉えるための、もっとも重要な概念である。  現在、中心的な役割を果たしているのが、多くの学術分野、つまりソフトウエアエンジニアリング、プログラミング、経営学、そしてコンピューターサイエンスといった分野である。また、「アプリケーション・ドメイン・モデリングおよび必須要件の捕捉」と呼ばれる、比較的新しい研究分野がいま大きな注目を集めている。

 ドメイン分析には、そのソフトウエアが機能するドメインまたは「環境」の慎重な研究が伴う。そのひとつとして、鉄道コンピューターシステムに関するドメインを例に挙げよう。ドメインの確立は、有用なソフト開発のための絶対的条件といってよい。ドメインがモデル化され、その基本条件が記述され、そして理解されれば、鉄道システムや鉄道網、路線や駅の関係について、正確な数式を使って必須要件を記述し、あるいは「捕捉」することが可能となる。

 先端開発プロジェクトは一般に、インフラ(交通・製造・電気通信・金融業とそのサービス・文書処理など)、つまり他の不可欠なシステムを支える活動のためのソフトに焦点を合わせる。インフラ概念の研究は、UNU/IISTの特筆すべき成果のひとつといって差し支えないだろう。


中国の鉄道の定刻運行を支援

 UNU/IISTのソフト研究は、多くの途上国のインフラ整備に焦点を合わせている。広大な中国大陸では、効率的な鉄道の活用は経済活動にとってきわめて重要である。このプロジェクトでは、中国政府と共同で列車の操車に関するドメイン分析を行っている。その結果、中国北西部の武漢と孱州間にわたる500キロの路線上に28の操車場が整備された。中国国鉄からの7人のフェローがマカオでこのプロジェクトに参加し、操車担当者が使用するプロトタイプ「走行地図」ツールを作成した。このプロジェクトにより、途上国のための鉄道用ソフトを必ずしも工業国から導入する必要がないことが実証された。

 途上国におけるその他の事例としては、UNU/IISTが開発した道路管理システムにより、インドネシアのトールウェイシステム社の料金徴収所システム機能および作業方式が転換されたことが挙げられる。このシステムは、三菱電機の料金徴収装置の電子機器に適合するよう改善されたものである。このプロジェクトが成果を挙げれば、アジアの大都市の交通渋滞問題に新たな解決策が見つかるかもしれない。それはまた、都市開発および持続可能な都市のための、他の国連大学プロジェクトに対する支援にもつながるだろう。


ベトナムの予算編成

 その他のアジア地域を見ると、ベトナム政府が、予算編成のコンピューター化の設計支援をUNU/IISTに依頼した。効率的な経済管理により、一国の財政実績は大きく向上する。コンピューター情報システムは、非常に有益な管理ツールであり、正確で包括的、しかも最新の情報を提供する。ほんの1年の間に、ベトナムの課税、予算、財政、対外支援、そして借款の包括的なモデルが、ベトナムの大蔵省、ハノイの情報技術研究所、およびハノイ大学からのフェローらによって開発された。

 ベトナム航空からのフェローは、エアライン・ビジネス・コンピューティング社のもとで、いわゆる「ABC 2000プロジェクト」に従事している。その目的は、航空機、航路網、人材スタッフ、チケットエージェンシー、およびその他の施設や金融システムの戦略的プラニング・管理に関するソフトウエア支援を開発することである。このソフトウエアは、時刻表や日常業務――チケットの発売、旅客および運送貨物のチェックイン、出入国管理、運航管理など――を含むスケジュール作成もサポートする。

 その他研究されている問題としては、フィリピンのマイクロ波電話システムおよびインドネシアの港湾管理などがある。UNU/IISTの研究は、近代工業社会に参入するうえで途上国が直面するさまざまな問題を網羅している。


あらゆる文字に対応する技術

 ソフトウエアについて開発途上社会が抱く最大の関心は、現地言語がどの程度使用可能かどうかということだろう。第三世界の市民の3分の2が言葉の表記にローマ字を使用していないことを考慮すれば、そのニーズの大きさは容易に想像がつく。英語のほかに日々使用される文字が、右から左(アラビア語、ヘブライ語)、または上から下(中国語、日本語)に書かれるアジアのソフト技術開発者にとって、これはとくに頭の痛い問題である。

 「マルチスクリプト」と呼ばれるUNU/IISTのプロジェクトは、この言語に起因する「カオス(混沌)」に焦点を合わせている。国際的なコミュニケーションが活発化するにつれ、異なる表記の2言語(あるいは3言語)で書かれる契約書や文書のための、まったく新しいタイプのテキストシステムが必要となってくる。マルチスクリプトプロジェクトでは、それぞれ特殊なワープロシステムが共通して文書入力、編集、フォーマット作成、および通信を処理するソフト開発のための試作品に取り組んでいる。モンゴルからきているフェローは、訓練の一環として「マルチスクリプト」の研究、調査、および開発に貢献している。

 紙幅の関係でここではこれ以上、訓練およびカリキュラム開発に関する他のUNU/IIST活動について説明することができないが、ソフト技術開発の訓練コースは、世界の多くの場所に組織されている。ここマカオでは、マカオ大学の科学技術学部と協力して訓練コースが実施されている。そのほか現在、アルゼンチン、ブラジル、カメルーン、中国、ガボン、インド、インドネシア、韓国、モンゴル、フィリピン、ルーマニア、ロシア、タイ、トルコ、ウクライナ、そしてベトナムで訓練コースを実施している。

 新しい情報技術の世界は広く、したがってUNU/IISTが取り扱う課題も多い。途上国の社会が「サイバースペース」に足を踏み入れ始めたいま、各国自らコンピューターの可能性を発見し、それぞれの問題の解決につなげることが何よりも重要である。  


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太陽エネルギーをネットワークする
河辺 隆也

 国連大学本部と高等研究所は東京にあるが、世界に向かって急速に広がっている科学技術研究情報ネットの発信地となっている。

 さて、ここで新しい「PlasmaNet」(プラズマネット)という最新のハイテク情報に関するコンピューター・ネットが加わった。このプラズマというのは、太陽で無限のエネルギーを放出している核融合反応を起こしたり、新しい材料、素材となって開発が進められているものである。これは21世紀の技術、21世紀のエネルギー源といって過言ではない。  核融合というのはアインシュタインの有名な方程式「E = mc2」(放出されるエネルギーは光の速度の2乗(c2)に反応で失われた質量mをかけたものに等しい。)によって成り立つ。このように生成されるエネルギーは太陽ではあと数十億年ももち、また、地球上で重水素を用いれば、数億年は使えるというわけで、ほぼ無限といって良い。しかも、少量の燃料から大量のエネルギーが放出されるのである。

 筑波大学物理学系の河辺隆也博士は本稿のために執筆した以下の論文で、この新しいプラズマの秘める可能性、それに国連大学から世界中にプラズマに関する最新情報を発信しているPlasmaNetについて語っている。河辺博士は、国連大学高等研究所の兼任教授でもある。――編集部


プラズマとは

 現在、多くの科学技術分野で、開発途上国に対して先進国からいわゆる「技術移転」が進められている。もし、これが順調にいっているならば、技術移転は開発途上国が先進国に追いつくための重要な要素になっているはずである。しかしながら、現実には、途上国へ移転されている技術のレベルは初歩的なものであり、移転された時点ではすでに旧式の技術となっているのがほとんどの現状である。

 プラズマ技術は今までの技術移転とは違い、開発途上国に有効に移転できる21世紀の技術であると筆者は信じている。これが最近確立されたPlasmaNetの本当のねらいなのである。

 プラズマについては小学校で習った理科の知識が役に立つ。物質の最もエネルギーの低い状態は固体である。水を例にとってみると、氷である。これにエネルギーを与えるため加熱すると液体、すなわち水になる。この液体を加熱すると水蒸気、すなわち気体となる。

 さて、この気体にさらにエネルギーを加えた場合にはどのようなことが起こるだろうか? 温度が高くなると、気体を構成している分子はすべて、バラバラの原子になる。原子は中心にある原子核と、そのまわりを回っている電子で構成されているが、十分にエネルギーを与えると、この電子と原子核も一体ではなくなり、それぞれがぱらばらになる。電子はマイナスの電気を持つ粒子であり、一方、原子核はプラスの電気をもつ粒子であるから、全体を見ると中性に見えるが、中を良く見ると、プラスの電気を持った粒子とマイナスの電気を持った粒子とがごちゃごちゃと動き回っている状態になる。これが「プラズマ」である。気体よりもさらにエネルギーが高い状態なので、「物質の第4の状態」とも言われている。

 プラズマはどのようにして得られるのであろうか? 上記のように物質を高温にするとプラズマとなる。例えば炎はプラズマである。電車の架線のスパーク、蛍光燈や水銀灯の内部など放電状態はプラズマである。これには稲妻も入る。大気上層の「電離層」もプラズマである。光っている星はプラズマ状態になっている。だから、太陽もプラズマの固まりである。宇宙全体の物質がどんな状態かを考えてみると、固体、液体、気体の状態は非常に少なくて、99.99%はプラズマ状態と考えられている。だから、宇宙から見るとプラズマ状態が「あたりまえ」なのである。

 物質がプラズマ状態になるとどんな性質を持つのであろうか? 普通の空気などは電気を通さない絶縁物である。しかし、プラズマ状態になると電気を帯びた電子などがあるために電気を通す、いわゆる良導体になる。プラズマの温度が上がれば上がるほど電気が通りやすくなり、2千万度にもなると銅と同じような良導体になる。

 プラズマに関する科学的な研究はプラズマ物理学として60年ほど前から進められてきた。その初期には、電離層プラズマによる電磁波の反射を利用した電気通信に応用された。これは、電気の良導体である銅の板で電波が反射することと全く同じ原理である。

 1960年代に入ると、プラズマの研究は、海水から無限の電力を取り出そうと言う「核融合発電」に中心が移った。国連大学は、マラヤ大学のリー・シン博士を中心にして進められていたプロジェクトに協力するかたちで、第三世界におけるプラズマ研究と応用の可能性を探った。ピンチ型のプラズマ閉じこめ装置を用いて行った実験で、当時(1980年代後半)としては、最も低い電圧で核融合反応を示すことが出来た。


プラズマ時代の夜明け

 近年にいたって、プラズマの応用範囲は爆発的に大きくなった。21世紀を目前にした今、プラズマ時代の夜明けがくると宣言しても間違いではない。

 プラズマの特徴は応用する上で非常に多くの役立つ面を持っている。簡単な装置で、固体、液体、気体では及びも付かないような摂氏1万度から2万度という高温状態が得られるのである。このような高温のプラズマを使って、人間や環境に有害な気体や液体、場合によっては固体まで分解して、無害な物質にすることが出来る。現在では、オゾンホールをつくったり、地球温暖化をもたらすフロン類は一般の熱分解法もあったが、プラズマを用いて分解することが可能になった。また、現在最も騒がれているダイオキシンは世代を越えて有害と考えられているが、これは廃棄物焼却炉の中で発生する。このダイオキシンの分解もプラズマを用いて実験が進められている。

 このような高温状態が得られるプラズマの応用はさらに広がっている。その一つを紹介しよう。これからの情報通信に欠かせないのは光ファイバーケーブルである。この光ファイバーには非常に純度の高いシリコンが用いられている。これは石英鉱山から産出される石英鉱石に炭素を混入し、還元反応でシリコン純度のかなり高い金属シリコンを得る。日本等はこれをブラジルなどから輸入してさらに純度を上げ、前に述べた光ファイバーやコンピューターチップ、それに太陽電池などの原材料として使っている。この工程で使われる炭素は、ブラジルでは木炭である。この木炭をつくる炭焼き工程や還元工程で有害ガスが発生する可能性があるが、これらのガスもプラズマを用いて分解できる可能性がある。また、水素ガスでプラズマをつくると強い還元反応を起こすので、還元工程にも利用できる可能性がある。この調査、研究はQITSプロジェクトとして国連大学高等研究所で本年3月より開始した。

 もう一つ応用に役立つプラズマの特性は、まったく新しい表面加工などのコーティングが出来ると言うことである。従来の化学的なコーティングでは、コートされる固体とコートする物質とは同じ温度にならないといけないが、プラズマを用いたコーティングでは、コートする物質は高温のプラズマ状態であるが、コートされる物質は低温でよい。だから、高温に弱いガラスやプラスチック、それに繊維などにもコーティングが可能である。また、コーティングする物質も金属だけではなく、セラミックスやいろいろな物質が使える。また、固体表面で新しい物質をつくることもできるのである。例えば、眼鏡のプラスチックレンズに各種のコーティングを施したり、自家用車のフロントガラスにもコーティングが出来る。プラズマは高温でプラズマ粒子はエネルギーを持っている。そのため高速で固体表面に飛び込むので内面までめり込み、剥離しにくいコーティングが出来るのである。

 コーティングの効果としては次のようなものがある。金属表面を硬化することが出来るので、ドリルの刃など切削工具に利用されている。セラミックスなどの耐食性に優れた物質をコーティングすることにより、オイルパイプや人工血管の内面、その他耐食性が必要なところへの応用が進められている。コーティングの独特の光沢を利用した装飾品のコーティングへの利用もある。


エアコン電力の軽減

 プラズマ技術で窓ガラスをコーティングする研究が進められている。太陽から地上に届く光には、可視光線の他に、紫外線、赤外線がある。人間がものを見るための明かりは可視光線のみで良い。紫外線はガラスでカットされるが赤外線は窓ガラスを通して入ってくる。これは熱を伝えているのであるから、室内は暖かくなる。夏には冷房に使うエアコン電力が膨大なものになる。今、赤外線をカットする窓ガラスが開発されると、省エネ効果は非常に大きい。そこで、プラズマのコーティング技術を生かし、現在、大きなガラス板にコーティングを施し、赤外線カットの窓ガラスを開発している。

 プラズマコーティング技術はこのほかにも非常に多くの応用が開けているし、また、これからも新しい応用分野が開けるのは確実である。医療用にも応用が広がっている。たとえば、人工骨の表面をプラズマを用いてセラミックスのコーティングをして、筋肉が付着するような研究も進められている。また、プラスチック製の人工血管の内側をプラズマコーティングして、血液で腐食するのを防いだりもしている。さらに人工歯骨へ特殊のセラミックスをプラズマコーティングして歯科用への応用についても研究が進められている。 プラズマ技術の移転  このような技術が経済成長に大いに貢献することは明らかである。だから、貧しい国々へのプラズマ技術の普及は、世界の持続可能な開発の達成のために有効である。このプラズマ技術は、開発途上国に膨大な経済的な利益をもたらす可能性のあるハイテク技術である。その理由はこの技術の開発が比較的最近に始まったものだから、未開発の分野がまだまだ多く、新しい応用が見つかる可能性も十分あるからである。だからこそ、開発途上国がこの分野に早期に参入することがきわめて重要なのである。

 プラズマ技術の移転に関する国際協力が、数年前から日本とアルゼンチンとの間で行われている。筆者はこのODAによる技術移転を1991年より推進してきた。日本の大学やメーカーからプラズマ技術の専門家を派遣するばかりでなく、アルゼンチンからの研修生を日本で受け入れ、また、機材(日新電機製など)を送って、アルゼンチンの原子力委員会の研究所で、技術訓練を行ってきた。その結果、窒化チタン膜のコーティング技術がアルゼンチンにもたらされ、同国の経済にも貢献が始まっている。

 1996年夏、国連大学高等研究所は、「プラズマの科学技術協力に関する国際会議」を開催して、アルゼンチンその他の国から当事者を招待し、このような技術協力の現状分析と将来の方向について討論した。

 さらに1997年には、アルゼンチンの研究所をベースにして、ブラジル、コロンビア、メキシコ、ペルー、ベネズエラなど他のラテンアメリカ諸国からの出席者も交えて、この技術の研究会を行った。本年度からは5カ年計画で、本格的にラテンアメリカからの研修生を受け入れ、技術講習が始まる。これは、この技術分野のラテンアメリカセンターの設立を目指している。

 この分野の技術協力はラテンアメリカばかりでなく、本年よりルーマニアを中心とする東欧諸国へも広げる予定である。


すべての人にプラズマ技術情報を――PlasmaNet

 プラズマ分野における最新の情報を普及して行く次の重要なステップとして、国連大学は「PlasmaNet」と呼ぶ全世界ネットワークを設立した。全世界の誰でも無料で会員になれ、全会員に全世界から電子メールにより情報が送られる。国連大学高等研究所がこのネットのコンピューターシステムを提供し、筑波大学物理学系河辺研究室が、全世界からの情報を整理し、配布している。また、(株)東陽テクニカ等がサポートをしている。会員はどんどん増加しており、すでに全世界約50カ国、800人以上の会員となり、この分野では世界最大のネットとなってきた。また、ホームページを最近発足し、全世界の学会からもリンクできるようになってきている。会員からは非常に高い評価を得ており、期待がますます高まっている。

 PlasmaNetの構成は次のようになっている。まず、全会員に連絡する全員ネットと、個別ネットとに分けられる。さらに個別ネットは、地域ネットと個別分野ネットになっている。地域ネットには、アジアネット、ラテンアメリカネット、アフリカネット、東欧ネット、旧ソ連ネット、バルト海ネットなどがある。個別分野ネットには、環境PlasmaNet、表面加工ネット、ダストPlasmaNet、高密度PlasmaNet、レーザーPlasmaNetなどである。

 インターネットや電子メールを利用できない国には、PlasmaNetの印刷版がインドのプラズマ研究所との協力で発行されている。これは無料で四半期ごとに配布される。このような発展を見るとPlasmaNetが、プラズマの科学技術分野における世界の中心的なネットワークになるものと私は確信している。


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グローバルなディベート

 このところ、「情報革命」については、科学誌やメディア、そして学問の場で活発な議論が繰り広げられている。論調のほとんどは新技術を歓迎するものだが、なかにはその社会的な影響を危惧する人たちもいる。情報革命は社会を二分するのか、人間は新しい情報に圧倒されてしまうのか・・・。ここでは、情報革命をめぐるグローバルな議論の一部を紹介しよう。

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「私たちは初めて、再生可能なだけではなく、自生的な資源に基づいた経済を実現しようとしている。情報を使い果たすことは問題ではないが、情報に溺れることは危険である」
――ジョン・ネイスビット,『Megatrends』

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「情報技術は、従来の技術のように資源を搾取することはなく、本質的により環境にやさしい。自動車、鉄道、蒸気機関は資源とエネルギーを猛烈に使用したが、情報技術は、生産量の大部分が無形のかたちをとる、いわゆる“負担のない”経済へのシフトを可能にする。情報技術は、移動が不要なテレワーキング(在宅勤務)やテレショッピングなどを通じて、環境汚染や交通渋滞を減らす大きな可能性を提供する。2005年までには先進国の全労働者の5分の1がパートタイムかフルタイムでテレワーキングするようになると試算されている」
――パム・ウッダール, “サイバーノミックスへの道案内”, 『エコノミスト』(1996年)

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「いまオーディオとビデオの間だけではなく、コンピューターと通信との間にも収斂が起きている。社会に根本的な変化が起きており、それは私たちにとってチャンスの時でもある」
――出井伸之(ソニー株式会社代表取締役社長)

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「生活の場となる導管」 「情報ハイウェイへのアクセスは、特権や地位の問題というよりは、民主社会を生きるうえでの基本的な能力の問題といえる。教育の水準、雇用、再就職の方法、政府の情報へのアクセス、国民と国が直面する重要な問題についての知識などはすべて、情報へのアクセス能力にかかっている。ロータス・ディベロップメント社の共同創業者であり、エレクトロニックフロンティア財団の現理事長であるミッチ・カポー氏の言葉を借りれば、情報にアクセスできない人々と『いわゆる持たざる者とのあいだに高い相関関係が生まれる。来世紀の初めにネットワークは、私たちが生活するうえでの主要な導管となり、その特典の剥奪は非常に深刻な影響を及ぼす』ことになるだろう」
――サニール・ラタン,“持てる者と持たざる者の新たな区分”, 『タイム』(サイバースペース特集、1993年春号)

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「現代英語に使用される言葉の数は、シェークスピアの時代の5倍以上、約50万語にものぼる。主要図書館に収められている書籍の数は14年ごとに倍増している。すべてを知る必要はないが、どこに情報があるかを知っていなければならない」
――リチャード・ソール・ワーマン, 『Information Anxiety』

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「連結は可能か」
「人間の美徳は連結にある。つまり、それを達成し、維持し、信じることである。一方、ニーチェによれば、罪は切断にある。あらゆるものを連結させていると思われる現在のデジタル技術の爆発が、美徳の生息する空間ばかりにエネルギーをつぎ込んで助長するとは考えられない。将来を模索する時に常に、私たちは非常に基本的な選択を迫られる。いくつかの新しい技術を前にした時、こう自問しなければならない。それは連結するのか、それとも切断するのか、と。そして、どのような素晴らしい技術もおそらくその両方の側面を持っているため、これらの特性のどちらがより支配的なのかを問う必要がある。たとえば電話は連結し、切断もするが、連結する性質の方が強いといってよい。テレビも同様であるが、米国の現状は、切断という残忍な特質がもたらす惨状を私たちに教えている」
――ジョン・ペリー・バーロウ, “道具のせいにする無能な労働者”, 『Wired Scenarios』(1995年)

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「かつて相互の対話交換と協力のためにその肉体存在を活用してきた労働者たちは、オートメーションによって、機械との日常的な相互作用にその肉体存在を求められるようになってしまった。彼らの声を必要としていた仕事はもはや、沈黙を強いるようになった・・・。労働者は経営プロセスから疎外され、自らの個人的な肉体的空間に局限されてしまった。その結果、それぞれのオフィスの従業員は、直情的な肉体的苦痛の感覚に苛まされるようになった」
――ショシャナ・ズボフ, 『Smart Machine』

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「地球環境の理解を助ける・・・」
「コンピューターは、情報を収集し、蓄積し、整理する膨大な能力を私たちに与え、地球環境と人間の影響に関する私たちの理解を助けることができる。この作業を実行するシステムは、主にモニタリングとモデリングの2つのカテゴリーに分類される。モニタリングシステムは、産業および自然界のプロセス――二酸化炭素の排出や大気温度の上昇など――を研究し、追跡するために使用される。モデリングシステムは、二酸化炭素と大気温度との因果関係など、複雑なプロセスの理論証明に使用される。これにより、『実世界』で行うには危険で時間のかかる実験のシミュレーションが可能となった」
――ジョン・E・ヤング,
『グローバルネットワーク:持続可能な社会におけるコンピューター』(ワールドウォッチ研究所)

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「新テクノロジー時代の幕開けを迎えるいま、質の高い教育へのアクセスはより公平に行われなければならない。かつて学校教育が建物内の枠に限られ、国家の官僚制度のもとで管理されていた時代、通常、貧しい子供たちは、経験のほとんどない教師のもとで、もっとも質の悪い教育を受けていた。新しい時代において、テクノロジーによってすべての子供がまったく同質の教育を受けることをが可能になる。新しい技術の活用により、すべての子供がまったく同じ電子教育プログラムにアクセスし、独自の速度と独自の選択に基づいて学ぶことができる・・・。テクノロジー時代の教育の可能性は、ほとんど無限に広がっている」
――ダイアン・ラビッチ, “これからの150年間”, 『エコノミスト』(1993年)

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「これまでの30年間に、過去5,000年の間に生み出された以上の、多くの新しい情報が生み出されている。世界では毎日、約1,000冊の本が発行されている」
――ピーター・ラージ, 『ミクロ・レボルーションの再訪』

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「今後10年間、テレビを含めたほとんどの情報は、コンピューターデータと同じデジタル方式をとると予想されている。また、移動体電話の普及によりすでに、モバイル式コンピューティングが実用化している。最新のラップトップコンピューターの中には、無線通信が可能なものもある。より強力なICチップが、手のひらサイズの機械に計り知れない計算能力を与え、性能の高いソフトウエアの開発は、大小さまざまな形をしたコンピューターの実用化を促した」 ――デビッド・マナシアン, “コンピュータ産業”、『エコノミスト』(1993年)

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「確かに安いが・・・」
「何かを成し遂げる方法は2つある。ひとつは、旧来の方法で働き、トレーニングを受けたグループを使うこと。もうひとつは、より少数の『古いカテゴリーの労働者』で同じ作業を行うように機械とシステムをセットアップし維持するグループを使うこと。実際には人を機械に置き換えるのではなく、“人間プラス機械”的システムを“機械プラス人間”に置き換えるのである・・・。自動現金払出システムには、銀行の出納係の4倍の報酬を受けるプログラマーと技術者が必要である。うまくいけば、銀行は4分の1以下の職員で済み、業績を上げることができる。しかし、あらかじめ多様な問題やその難度を予測することは非常に困難である。より新しい技術のひとつの限界は、日常の使用には安価でも、訂正し、修理するには高くつくことである」 ――エドワード・テナー, 『物事には裏がある理由――テクノロジーと予想外の結果という復讐』

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「たとえばレーザー光学やマイクロコンピューターにおいて、電子ハードウエア機能が指数級的に向上している。にもかかわらず、人間の能力はそれに対応して伸びていない」 ――オリン・クラップ, 『Overload and Boredom』

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ポハングと競争するペオリア
「力の限りに働くのではなく、わずかな努力で大きな成果を収めるという、労働市場の性質自体の変化は、インドと中国の20億の強力な労働力が文字通り一線(オンライン)に登場するのと同時に起こる。このとき、ペオリアの自営ソフトウエア設計者は、ポハングの同業者と競争することになる。マドリッドのデジタルタイポグラファーは、マドラスの同業者と競争関係になるだろう。米国企業はすでに、安価な肉体労働者を見つけるためではなく、見たところ自国よりもより懸命に、すばやく、またより鍛錬された方法で働く、高度な熟練知的労働力を確保するために、ロシアとインドにハードウエア開発およびソフトウエア開発をアウトソーシングしている」 「ビジネスのグローバル化と、インターネットの成長により、継ぎ目のない“デジタル職場”は私たちの目前に姿を現し始めている。政治的調和と関税および貿易に関する一般協定(GATT)の合意が達成されるずっと以前に、情報はボーダーレス化され、地政学的境界に関係なく蓄積され、また操作されるようになる」 ――ニコラス・ネグロポンテ, 『Being Digital』

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「私が生まれてから今日に至るまでの世界は、ジュリアス・シーザーの時代から私の誕生までの期間と同じくらい変化した。私はおおよそ人類史の中間に生まれたことになる。私が生まれる以前とほとんど同じくらいの出来事が、私が生まれてから起きている」
――ケネス・ボールディング (国連大学の最初の客員教授、1984年)

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「新しい情報技術は、人間の科学知識へのアクセスを拡大するうえで、明らかに肯定的で重大な役割を果たしている。これらの技術は、国際的な科学協力の拡大に重要な影響力を持つことは多言を要しないといってよいだろう。これに関する国連大学の役割はその憲章に明確に示されている。それは、学者間、学者とその他のコミュニティ間の意思疎通を強化し、学術研究を普及させることである。国連大学は特に、世界の主流から取り残されることの多かった開発途上国の学者に手を差し伸べるよう努力している。私は、新しい情報技術がこの憲章の目的をさらに推し進めるうえで不可欠なものであると確信している」
――イネス・ウェズリー・タナスコビッチ(国連大学マイクロプロセッサー・情報科学プログラム・コーディネーター)