1998年 7月     


人権と経済のギャップの解消を
    ロビンソン国連人権高等弁務官、人権シンポジウムで指摘

「われわれは人権問題で成果を上げてはいるが、世界中で大量虐殺が起き、極端な貧困も根絶できていないことを考えると、まだ誇らしい気持ちにはなれない」−今年1月27日、国連大学本部で開かれた「アジア・太平洋地域の人権」と題する国連大学、外務省共催の国際シンポジウムの基調講演で、メアリー・ロビンソン国連人権高等弁務官はこのように述べた。

今年は世界人権宣言が採択されて50年目に当たり、これまでの成果と今後の課題を検討するのにふさわしい節目の年といえる。だがロビンソン氏は、人権問題については多くの課題が残されており、過去の栄光にひたっている時ではない。目標と実績との間にはまだ「大きなギャップ」があり、それを縮めていくのがわれわれの義務だと語った。

1948年の人権宣言は国際人権法の概念的基礎を示した画期的文書で、過去50年の国連による人権活動はそれを指針として進められてきた。この文書は英国の大憲章(マグナカルタ)やフランスの「人権宣言」などの権利文書からさらに進んで、国籍や居住地とは無関係にすべての人間の権利と自由を認め、政治的利害と経済的利害は相互依存関係にあることを明確にしている。

「しかし政治、経済の面での権利保護については、国際的レベルでまだ不均衡があることを率直に認めなければならない。高等弁務官として自分は、その不均衡の是正を最大の目標としてきた」とロビンソン弁務官は言う。

冷戦期間中、国連安全保障理事会が人権問題をほとんど無視していたことが、この不均衡を生んだ大きな要因である。安保理常任理事国は、主権国家の領土内での人権侵害には目をつぶる傾向があった。だがこの傾向は、内政不干渉についての国連憲章の条項(訳注:2条4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」)が以前ほど厳しく適用されなくなったことで、変わってきた。イラクのケースがそれを物語っている。人権を外交政策の基本に据える国も増えてきた。先進諸国はしばしば対外援助を、政治的プルーラリズム(多元主義)と個人の自由を促進するための手段に使っている。

だが途上国の一部はこの傾向に警戒感を強めている。豊かな北と貧しい南とでは、物事の優先順位は違う、というのが途上国の言い分である。南にとっては経済発展の権利は死活問題なのであり、北は法制の不備や独裁制度に対して文句をいうよりも、貧しい国を苦しめる一次産品の価格下落や債務返済圧力などを解消すべきだ、ということになる。

国連が1948年に定めた人権の定義は、理論的には、不当逮捕から妥当な生活水準まで、人権にかかわる事項すべてを網羅している、とロビンソン氏は言う。しかし、彼女が明言したとおり、人権に関する双子条項、つまり公民権に関する条項と経済的権利に関する条項とは、決して平等なものではない。公民権保護に使われる手続きを例に挙げると、たとえば「失踪者」の問題を担当する作業委員会は、報告者が特に問題の多い国を調査しているが、経済的権利の侵害に適用できる同じような仕組みはまだできてない。

経済構造改革は独裁政権の方が民主的政権よりも実施しやすいと、多くの政府は主張する。だがロビンソン氏は基調講演で、権利と経済的権利を明確に区別すべきだと強調した。

権利と経済的な目標とは別物である。すべての人に仕事や住宅、教育、医療が保障されることは望ましい。だがこうした贈り物を万人に与えることは、どんな裁判官にも、あるいはどんな気前のいい政府にも不可能である。社会はせいぜいそう努力するしかない。

しかし権利は違う。法律を定めることや、宣言の採択によって付与できるし、一方で簡単に取り上げることも可能だ。ロビンソン氏がいうように「権利とは強者に対する弱者の武器」なのだ。