1998年  7月     


視 点
編集部より: 「視点」エッセイシリーズは、地球規模の緊急課題について、関連分野の専門家によるタイムリーな分析と知見を提供するものです。エッセイに述べられている見識は著者のものであり、必ずしも国連大学の見解を反映したものではありません。

南アジアの核実験:そのプラス面の考察


ラメシュ・タクール
かし以上 述べたことは歴史的事実である。今必要なことは、世界、地域、そして2国間レベルにおいてこの影響がプラスに働く面を考察することである。とりわけ、50年以上にわたる核をめぐる議論の混乱を一掃することが不可欠である。中でも厄介な混乱は、核拡散防止条約(NPT)の、核保有国に関する不条理な定義である。ここでは、核保有国とは、核兵器を保有・配備する国ではなく、1967年1月1日以前に核実験を実施した国と定義されている。これではまるで、自らの思うがままに言葉の意味を定義する不思議な国のアリスの世界ではないか。

この公然たる2つの核実験によって、世界の戦略的現実は変貌してしまった。世界はこれに対処できるのか、あるいは陰鬱な状況に後戻りしてしまうのだろうか。

インドは、自らの地域に放ってしまった悪霊のような核の驚愕すべき影響力に次第に気づくことになる。そして、なぜ非拡散こそ核軍縮に必要不可欠なものであるのかを、よりよく理解することになるであろう。安全保障情勢が悪化することで、核保有5カ国による一層の核兵器削減が促されるはずはないのである。

しかし、逆もまた真なりである。ロンドン、ブリュッセル、ワシントンからのコメントは、核保有国がまだ現実を十分に理解していないことを裏づけた。1995年のNPT無期限延長が決定された後の核保有国の選択肢は、前進か現状維持か、ではなかった。それは前進か後退か、すなわち既存の核保有国が核廃絶に向けて前進を図るのか、あるいは諸外国に核兵器を拡散させてしまうのか、の2つであった。しかし核保有国は、常識、論理、そしてあらゆる人類の歴史を平然と無視してきた。

核保有国による非難声明も、その中に潜む偽善によって、10億人に上るインドとパキスタンの人々にとっては、何の意味も持たないに等しい。客観的に分析しても、イギリスやフランスが核を保有し続ける以上、インドとパキスタンが核武装することの正当性を一方的に否定するのは難しい。

アメリカが核戦力の維持を主張する以上、ロシアも核を廃絶するわけにはいかない。ロシアとアメリカが核兵器を保持するかぎり、中国が核兵器を削減することはない。中国はインドにとって長期的な安全保障に脅威をもたらす主要国であることから、インド政府は核兵器保有のオプションを放棄しないであろう。インドの放棄なしに、パキスタンの譲歩もあり得ない。

このような相互的核戦力の悪循環を断つことができるのは、アメリカである。核兵器削減を実践することにより、アメリカ政府は、国の安全保障が核戦力なしに確保され得ることを立証していくことになる。そうすれば他の国々も追随する。潜在的核拡散国には、このような安全保障の均衡化が最も効果的である。

逆に言えば諸外国への核拡散は、世界の最強国としてのアメリカの優位性を損ない、アメリカが介入を要請されるであろう潜在的紛争地域を増大するだけである。臨界前核実験によって、調印した包括的核実験禁止条約(CTBT)の精神を汚したアメリカ政府は、CTBTに調印していないインドとパキスタンに意見できる立場にはない。

おそらく世界中が、すべての国に適用される核兵器条約の課題にようやく真剣に取り組む気になったことであろう。

地域的には、パキスタンの核ミサイル・プログラムに対する中国の援助は、インドが中国に対して恒常的に劣勢な地位にあることを受け入れるという仮定に基づいていなければならなかった。しかしこの実験によってそうではないことが明らかとなり、その結果、中国の戦略情勢は悪化した。今後おそらく中国政府は、すべての国の共同安全保障の改善のための対話に、これまでよりも積極的に取り組むであろう。

客観的に分析しても、イギリスやフランスが核を保有し続ける以上、インドとパキスタンが核武装することの正当性を一方的に否定するのは難しい。
ナショナリズムを標榜するインド政府は、パキスタンおよび中国に対し数々の扇動的な声明を発表した。しかし、インド政府が示すべきものは真のリーダーシップである。核を公にすることにより、先制不使用協定を含め、相互抑止と軍備管理の機構を確立することが可能となったとすれば、このことこそが急務である。インド政府は、パキスタンの苦境に理解を示し、両国に課せられた制裁と闘うためあらゆる外交的支援を行うべきである。

核保有国は、単に厳しい報復的制裁を課すだけでは、威信と影響力を失ってしまう。南アジアが核管理からはずれることは、誰のためにもならない。ましてや、インドネシアの救済に国際的支援を送る一方で、南アジアを同じような経済的、社会政治的崩壊の危機に追いやることは、意味のないことである。全人類の5分の1に相当する人々を孤立させたり、ないものと考えることはできない。

なぜインドが最初に核実験を行ったのか
インドが核実験を行ったことは、遺憾であり、残念な誤った行為である。ただ、なぜなのかを理解しておく必要がある。インドは、過小評価されていた核に対する高度な知識、予期しなかった強い政治的意志、核実験の事前探知を巧みに避ける思いも寄らぬ能力を実証したのである。

インドの核実験遂行は、現在の国際情勢についての適切な判断に欠け、国家安全保障のニーズと対応の予測を誤った結果にほかならない。インドには4つの選択肢があった。1、公然たる核保有国(NWS)となる、2、NPTは拒否するが、CTBTには調印する、3、核保有のオプションを放棄する、4、核保有のオプションは残し境界上にある立場を維持する、の4つの道である。

核保有のオプションを支持する者は、「核兵器は国際社会におけるインドの地位を押し上げ、戦略的独立を保証し、強国のヘゲモニーを衰退させ、第三世界および非同盟運動におけるインドの指導的役割を強化し、国際情勢におけるインドの外交の選択肢を拡大し、対中および対パキスタン関係を安定化するであろう」と主張した。彼らは、核のオプションを、中国の核戦力ならびに従来の優位性に対する費用効率の良い「政治力の増加手段」としてとらえている。インドが核を選択することによって対パキスタン関係が不安定化するという影響は、遺憾ながらも容認し得る「付随リスク」とみなしたのである。

他方、インドが核のオプションを選択したことは、域内の通常兵器および核兵器の新たな軍拡競争の引き金となり、予測しがたく、制御できないほどの重要性を持つ外交および軍事力を顕示することになったようである。国の安全保障に対する純益は皆無であろう。インドは、中国、パキスタンと比較してより高度な軍事力と軍事支出をもって、情勢不安に巻き込まれたことになる。この他にもインドにとって核のオプションの代償は数多い。中でも特筆すべきは、大量の人的、財政的、物的投資が核プログラムに投入されたこと、そして非同盟諸国および第三世界諸国のインドに対する政治的信頼が大いに損なわれたことである。

インドにとって正しい選択とは、他の途上国の例にならい、核のオプションの軍事および政治的利益は見せかけのものであると判断し、NPT およびCTBTの両方に調印して核のオプションを完全に放棄することであった。核のオプションを放棄することによって、インドは、現代の国力である経済成長に精根を傾け、軍縮の道義的優位性を再度主張することができたのである。にもかかわらず、インドは核実験を実施し、歴史の誤った側に立ってしまった。では、その理由は何か。

国内においては、バジパイ政権にとって、復活したナショナリズムの気運を利用することで失うものは何ひとつなく、むしろ得るものが多い。20の政党の寄り合い所帯である不安定な連立政権は、ひとつの危機を乗り越えると次の危機に見舞われるなど、足下もおぼつかないものであった。何度となく政権崩壊の危機が迫り、新たな選挙が予期された。この核実験によって政権の威信は高められ、首相の権限は強化されたのである。直後の世論調査では、91%が核実験を支持したが、パキスタンも核実験を実施し、インドに追随すると思うと答えた者は80%に上った。

インド政府は有利な立場に立ち、どの政党も非愛国者の烙印を押されることを恐れて政府批判ができなくなった。インド人民党(BJP)は、これまでの政権に明らかに欠けていた核実験を断行する勇気を持っていただけである、と主張している。これは、現政権にいくらかの安定をもたらすであろう。BJP が圧勝して政権を再度握るような選挙を敢行する政党などないからである。

地域においては、インドは、パキスタンと中国の核ミサイルの共謀によって、戦略的に包囲されていると判断していた。そして、1995年の核拡散防止条約の無期限延長ならびに1996年の包括的核実験禁止条約の締結後、インド政府は、長年にわたり保留してきた核のオプションにおいて、「使用するか失うか」の厳しい選択を迫られた。

また国際社会の公然たる抵抗の兆候は更に興味深い。1996年の核兵器廃絶に関するキャンベラ委員会は、核保有5カ国のグループが核兵器を永遠に独占できると考えるような風潮には公然と反抗すると論じている。この判断は、その正当性が立証されている。

世界は、インドが制裁を受けずに策定中の反核規範を平然と無視するのを許しておくわけにはいかない。ではどうすべきか。穏健な対応をすれば、インドの核を支持するタカ派は擁護されたと思い、インドは核兵器を持ったが故に敬意をもって扱われており、したがって、声高に多数配備すべきであると主張するであろう。一方厳しい対応は、彼らを追いつめることになる。タカ派は、国際社会から敵対視され、理解する国もなくなったインドは、国益を守るため核戦力こそ必要であると主張するであろう。世界は今、このような窮地に立たされているのである。